リスク社会の科学教育―科学を統治する市民を育てるー

このブログは、大学で科学教育を担当している筆者(荻原彰)が、現代の巨大な科学技術を市民が適切に統治するため、科学教育はどうあるべきかを考えていくブログです

関与の論理 公正のための介入 脆弱な人々を守る権利はあるのか?余計なお世話ではないのか?

2 公正のための介入 脆弱な人々を守る権利はあるのか?余計なお世話ではないのか?

 「リスク社会とその特性」の章でも触れたが,ある電力会社の課長と話した経験をもう一度再録するところからこの話をはじめよう.

彼は原子力発電所に反対する人々を大略次のように批判した

 

大学病院のヘリが家の近くをよく通るが、それをうるさいといって批判する人がいる。そういう人は自分のことばかり考えていて社会全体のことを考えていない。原子力発電所も社会全体のために必要不可欠なものという意味で病院のヘリと同じだ。それなのに否定するのは、社会全体のことを考えていないのだ 

 

原子力発電所の立地したところは、それまで開発が遅れ、貧しくて困っている人たちが多かった。原子力発電所ができて道も学校も新しくなり、生活がとても便利になって皆喜んでいる。それなのによそものが入ってきて原子力発電所反対を叫んでいて住民は困っている。

 

 この発言は原子力発電所を批判した私との議論の中でなされたものであり、お互いに少々けんか腰であったので,感情的になってしまった部分もあるとは思うが、リスクとその配分についての重要な論点を含んでいる。それを一般的な表現で述べてみれば次のようになるだろう。

1 リスクはあっても社会全体の総効用を高める政策があるのならば、それを推進すべきであり、リスクの観点にもっぱら注目して批判をすることは、社会全体の総効用を低めることになる。

2 政策により特定の人たちにリスクが偏る場合には、リスクを被ることに対する補償を行うことによって(迷惑料を払って)、リスクを引き受ける人々の効用を改善して対処すればよい。

3 リスクを被る人々がそのリスクと補償について受容するのならば,第三者がそこに介入すべきではない。

 

いかがであろうか。3.11後の原子力発電所という文脈があるために課長の発言はきわどく聞こえるが、その文脈から離れれば、これらの主張には一定の説得力があるように感ぜられないだろうか。

 

このうち1と2については、「リスク社会とその特性について」でリスク分配の不平等を不可視化しかねない等の問題点を指摘したが、以下では上記3について、リスクの受容と第三者の介入について述べてみたい。

 

 まず受容について考えてみよう.人はどんなときにリスクを受容するのだろうか.たとえば自動車は公共交通機関に比べて事故のリスクは大きい.公共交通機関を利用できる場合でも自動車を使う人は多い.それは自動車がドアツードアの便利さ,プライバシーの守りやすさなどのベネフィットを持っているからだろう.人はリスクとベネフィットを見比べて自動車を選ぶ,そして選ぶのは個人(家族や友人で同乗する場合もあるが,それは個人の範疇に入れておこう)である.

一方,たとえば原子力発電所放射性廃棄物処分場の受けいれといった事案の場合,自動車を使う事と何が異なるのだろうか,もちろん,このような施設を受け入れる地域の人々にとってベネフィットはほとんど存在しない.存在するのはもっぱらリスクである.しかし,通常リスクを受容してもらうため,何らかの補償措置が行われるのであるから,それをベネフィットととらえれば.リスクとベネフィットを比較考量して意思決定するという構造は同一と考えることもできる.しかしそこには大きな違いもある.

一つは意思決定の主体が個人ではなく,集団(たとえば自治体,漁協)であることである.集団である以上,意思決定のプロセスには集団構成員の合意の調達が必要となる.どのような手法で行うにせよ,そこにはリーダーと構成員,構成員相互,リーダー相互の権力構造が織り込まれている.

もう一つはリスクもベネフィットも外からやってくる,つまりリスクの生産もベネフィットの供与も外部の集団(たとえば国,企業)に由来するということである.そしてこれらの集団は特権的立場の強力なアクターであることが多い.

何かものごとを決める際に,指導層が意思決定を独占するのではなく,集団のあらゆる人々が意思決定に参与する熟議の形をとることが望ましいことはおおかた合意できることであろう.しかし上記の2つの要素が組み合わさると,リスクを持ち込んでくる外部集団と影響を受ける集団(被影響集団)の指導層との利害の取引となってしまうことが起きやすい.

熟議には時間がかかり、結果も予測しがたい。それよりも外部集団と指導層が直に交渉し、指導層の合意を取り付けることができれば、少々の異論があったとしても被影響集団の合意をとりつけたという形にすることができる。こう書くと外部集団と被影響集団の裏取引を描いていると取られるかもしれないが、そうではない。指導層が被影響集団の利益を誠実に考えていたとしても、指導層の内部に閉じられた議論でことを進めるならば、結果的に熟議は排除される。むしろ熟議は速やかな意思決定を阻害する要因とみなされ、厄介視されるだろう。熟議を経ないで行われる指導層の強引な意思決定は集団内に亀裂を生み、集団のまとまりを破壊する。被影響集団に打ち込まれる強力な楔となり、「つけこむ隙」が作られるのである。こうなると、被影響集団を構成する個々人の個別の利害が強く意識されるようになり、集団はバラバラな個人の塊に化する。指導層をはじめとする影響力の強い人々の利害が優先され、リスクにもっとも強くさらされる人々(集団の中で弱い立場にある、いわば周辺化された人々であることが多い)やその意見は排除されることになりやすい.やや抽象的な言い方になったが、過去の日本の巨大開発の多くはこのようにして受容されていったのであるし、現在でも特に発展途上国では地方政府(被影響集団の指導層)と企業の合意のみで開発が進められ、先住民など開発によりもっとも大きな影響を受ける人々を排除した意思決定がなされることは珍しくない。

実は問題はそれだけではない。熟議に参加できないのは周辺化された人々だけではないのである。熟議に参加するには幼すぎる子どもや、まだ生まれていない未来世代もまた熟議に参加できない。しかしこれらの人々は実は大人や現在世代よりもむしろ大きな影響を受ける人々かもしれない。ではこれらの人々の利害を大人や現在世代が熟考して物事を決めていると言えるのだろうか。ここで上述の「社会-科学複合体の問題点」の節で述べた元敦賀市長の原子力発電所についての発言を思い出してほしい。彼は「50年後に生まれた子供が全部カタワになるやら、それはわかりませんよ。わかりませんけど、今は(原子力発電所を)おやりになった方がよいのではなかろうか・・・」と述べている。現在世代の目先の利益のために将来世代の利害への考慮などは実にあっさり投げ捨てられてしまうものであることがよくわかる。

さてこのように周辺化された人々や幼い子どもたち、未来世代といった人々の熟議から、つまり意思決定のプロセスからの排除があるとすれば、上述の

「リスクを被る人々がそのリスクと補償について受容するのならば,第三者がそこに介入すべきではない。」は疑わしく思えてくる。価値観の相対性が重視される現代の風潮から言えばやや挑発的な物言いになってしまうが、むしろ外部(リスクを作り出す人々とそれを受け入れる人々と言う閉じた二元的構造の外部)からの適切な関与が必要であると思われるのである。もちろんだからといって正義感に燃えた第三者がその正義を振りかざして乗り込んできてもうまくいきそうにはない。それはかえって事態を紛糾させるだけだろう。ではどのような関与の論理があるうるのだろうか、この小論の手に余る巨大な課題ではあるが、この課題についての私なりの考えかたを述べてみたい。

(1)関与の論理その1 基本的人権の普遍的保障

 中国政府のウイグル人への弾圧(強制収容,強制避妊手術等)に対してアメリカ,EU,英国,カナダは2021年3月に人権侵害を理由に、新疆ウイグル自治区責任者の資産凍結などの対中制裁に踏み切った。中国政府は内政干渉だとして反発しているが,弾圧が事実だとすれば,テロ対策等の理由を挙げたとしても決して正当化できない.このような事案に対しては内政干渉という批判は通用しない.だからこそ中国政府は「世紀のウソ」と躍起になって否定しているのであろう.基本的人権の保障は少なくとも民主主義国家においては国家主権を超えて普遍的に保障されなければならないものであり,その侵害の是正要求やそのための措置は内政干渉にはあたらない.むしろ要求することの方が正義に適った適正なことであり,義務ですらある.

この論理を貫徹するならば,たとえば高速道路や汚染物質を排出する軍事基地,工場,鉱山等の直近に住んでいて健康を害したり,害する可能性のある人々は,健康や生命という最も重要な基本的人権を脅かされるのであり,それを知った地域外の人々が「騒ぎ立てる」のは迷惑行為どころか基本的人権の保障に資する行為であり,むしろ責務であると考えられないだろうか.あるいはこう考えることもできるだろう。すべての人に基本的人権を保証することは地域とか国家とかの共同体の責務である。しかし共同体がそのことを果たせないあるいは果たす意思がない場合、共同体外の人々であっても、基本的人権の侵害に直面する人々を擁護するため声をあげる責任があり権利があるのだと。

もちろん現実的には声をあげても無視されることが多い。国家主権とか当事者適格(権利関係について判決を受けることができる訴訟手続上の地位,当事者を対象とする裁判をすることが紛争解決に適切であるかどうかが問われる.当事者であることを裁判所が認めないと不適法として訴えは却下される)を基本原理とする現在の法体系という高い壁を考えれば、少なくとも当面は蟷螂の斧たることを免れないだろう。しかしたとえばLGBTの人々とその権利を擁護する人々が弛むことなく権利を主張し続けてきたことが,おそらく2010年代に臨界点に達し,世論が劇的に変化し,いわゆるLGBT理解増進法が2023年に成立したように,権利と義務の射程を拡張した論理を構築し,主張し続けることがいずれは現実を変えてゆくこともあるうることである.

では,この関与の論理,基本的人権を普遍的に保障することは当事者だけでなく,すべての人々の責任であり権利であるとする論理を現実化するとしたら,具体的にはどのような方法というかアプローチがありうるのだろうか.次にこのことを考えてみたい.

(2) 関与の論理その2 知のエンパワメントー熟議の前提を構築するー

民主主義は単に民意の代表者を選び、その代表者に社会や組織の意思決定を委任するだけのものではない。社会や組織を構成する各人が社会や組織で生起する様々な問題に対してその意思を表明し、話し合い、話し合いを集約し、全体としての意思決定を行っていくプロセスである。このプロセスを丁寧に行っていくことがいわゆる熟議民主主義であり、熟議が欠けていれば民主主義がいわば期限付き独裁に堕してしまう。

熟議には前提となる条件がある。ハーバマスが中心となって確立され、熟議民主主義のいわば標準理論となっている討議理論において理想的論議の要件とされているのは「論議に参加する能力を行使するすべての主体を例外なく含みこむ」こと,「すべての参加者に対して論議への寄与をなし自らの論証を妥当に導くための平等なチャンスを保障」すること,「誰もがディスクルスに参加する権利及び平等にディスクルスに寄与する権利を,たとえどんなにささやかで目に見えないような抑圧にもさらされることなく.(それ故)平等に行使しうるためのコミュニケーションの条件」である(ディスクルスは討議をさす).(ハーバーマス(54)。つまり何かの問題,たとえば開発とかリスクを伴う科学技術の導入が持ち上がり,それに関連して共同体が何らかの意思決定を行う場合,共同体に属するすべての市民が討議のプロセスに包摂され,平等に主張を展開できること、討議が権力などによる抑圧や制限から自由に行われなければならないということである。このような要件が満たされる討議を経た合意が正当性を持ちうる。もちろんハーバマス自身も認めているようにこれは討議の理想的形態ではあり,現実の討議においては「近似的なところで満足せねばならない」のではあるが,少なくとも討議の参加者がこの理想に向けて接近する責任と権利を持っていることは明らかであろう・

当該の問題について特定の集団が情報を独占的に所持・運用し,集団外の人々にその情報が利用できない状況であれば,このような討議は実現しないことは自明である.しかし現実には原子力発電所や軍事基地に典型的に見られるように事故隠し,テロ対策や企業秘密・国家秘密を理由とした情報提供の拒否,不十分な情報提供は日常茶飯事のごとくなされている.そもそも国や軍,企業は住民等の関係者との話しあいが円満に進むことを望んではいるものの,条件闘争による多少の変更はあっても,討議の帰着点は動かさない.関係する市民にはひたすら受け入れを迫る「ご理解ください」式の一方的なコミュニケーションを行うことがほとんどである.これでは帰着点が思惑と違ってきそうな場合,コミュニケーションを歪曲(大事なことを知らせないあるいは隠す、コミュニケーションの主題を一方的に限定してそれ以外のコミュニケーションに応じない、補償の問題にすりかえる)するインセンティブが働くのが当然であり,歪曲しないと考えるのはむしろ素朴にすぎるとすら言える.しかし情報の不均衡が存在するとコミュニケーションが歪曲されているということ自体に気づきようがない。熟議という批判的コミュニケーション空間は成立しなくなる。熟議を行うためには情報の不均衡(情報は解釈され、問題解決に向けて再編成される必要があるので、むしろ知の不均衡といった方がよいかもしれない)という拘束を克服する状況を積極的に創出する必要がある。

知の不均衡を克服するということは、具体的には,まずはある問題に当事者として関与する(可能性のある)市民が当該の問題についての情報にアクセスできる権利を他の当事者と同じ程度に確保できることであるが,それだけでは十分ではない.同時にそれらの情報を当該問題についての意思決定に有効に活用し,他の当事者にその意思決定と根拠について説明し,場合によっては反対したり有効な抗弁を行うことができる知的力量を備える必要がある.しかしそのような力量を構築することは容易なことではない.私はそこに直接の当事者ではない外部の人々が問題に関与することの根拠を見出すことができると考える.ある特定の主張の実現のために介入するのではなく,当事者,それも専門的知識を持つ機会がなく,いってみれば知的にも権力の付置の上でも不利な立場にある人々が当該問題を理解し,その理解を活用して主張を行うことができる知的力量の構築を援助するのである.たとえばある巨大開発の話が持ち上がった際に外部の市民(専門家も含む)が開発反対の主張を持って乗り込むのではなく(もちろんそれも必要なこともあるだろうが),地域がそれによってどう変わるのか,生態系や人々の暮らしがどのような影響を受けるのかの理解とそれを活用する力量を学習会や交流などを通して地域の人々が育てていくのを助けること,いわば知のエンパワメントを行うのである.少しややこしい議論をしてしまったかもしれないが,要はしっかり知ったうえで選ぶ,いわば政策上のインフォームド・コンセントである.

なにも外部の人に頼らなくても,行政や企業の行う各種の説明会等はその試みの一つであって、この部分の充実や情報公開を進めることができれば良いのではないかという意見もあるだろう.しかし受け入れを求める側と求められる側という二元構造に閉じたコミュニケーションでは.たとえば受け入れを求める側がゼロオプション(事業や新規技術の導入を行わない)や受け入れを求める側のコストが大きい選択肢を提示することは考えにくく,ゆがめられたコミュニケーションになりやすい.これではエンパワメントとはならない.

やはり外部の第三者が関与することにより知の非対称性を正し、市民の知のエンパワメントを助ける役割を果たしてもらうことがむしろ現実的ではないかと考える.繰り返しになるが,これはある問題,たとえば開発案件が持ち込まれる地域の人々とかある科学技術に影響を受ける人々(たとえば着床前診断の広範な導入に対するダウン症の患者や家族)に特定の主張の賛同者になるように説得するというものではない.ハーバマスの言う理想的議論の要件を充足するために,関係する市民が問題への理解とその理解を活用する力量を育てるのを支援するのである.このような前提に立つならば,外部の第三者が関与することは,「余計なおせっかい」ではなくむしろ公正や正義の実現に資するものであると考える.

(3)関与の論理その3 つながりのエンパワメントー社会的・政治的な力量構築を支援する

 現代の正義論の基礎を据えた倫理学・政治哲学者のロールズは正義の原則として、すべての人々が自由に対する平等な権利を持つことを第一の原理とし、その権利を前提としたうえで、社会的または経済的な不平等の存在は、それらの不平等がもっとも不遇な立場にある人の利益を最大にすること、その不平等がすべての人に達成の機会が与えられている職務や地位に伴うものであることといった条件下でのみ許容されるべきことを第2の原理としている(ロールズ(55)

ロールズの原理に従うならば、社会的・経済的な格差自体は容認できても、その格差が容認されるのは、たとえば感染症の特効薬を開発した研究者が病の治癒という大きな利益を社会にもたらし、そのことで大きな経済的褒章を与えられる例のように、不遇な立場にある人々に利益が及ぶ場合である。不遇な人々(発言力の大きくない人々)に汚染のようなあからさまな不利益が押し付けられ、一方で社会的または経済的な発言力の大きな人々がその汚染から利益を得るというようなことはあからさまに正義に反することとなる。

しかし現実に起きている事態はこの原則と真逆であることが多い。水俣でも四日市でも公害被害は漁民に集中した。産業廃棄物が運び込まれるのは山間の村や海辺の漁村であって、高級住宅地に産業廃棄物が山積みになることはない。ウランの微粒子を肺の中にため込んで肺がんになるのは、ウラン採掘から高額な収入を得ている鉱山会社の経営者ではなく、経営者に比べ圧倒的な低賃金で生活をしのいでいる鉱山労働者であり、鉱山周辺の住民である。問題は企業にだけあるわけではない。先に見たように水俣病有機水銀説を批判し、チッソを擁護したのは通産省、つまり政府である。企業と権力が一体となって社会的・政治的発言力の弱い人々に公害被害を集中させたのである。ほとんどスキャンダルともいうべきこのような事態が日本やアメリカ、カナダのような民主主義を標榜する国家の国内でも行われてきた。

このような事態が正義と人権を踏みにじっていることは、当の企業や政府に所属する人々が鬼畜のような非人間的な輩であることにより引き起こされているわけではない。先に述べたように個人としては恐るべき事態が起こっている事を憂慮し、責任を感じている人も多かったのである。しかし彼らはそれを認めて指摘するなどの行動を起こすことが自分たちの所属する共同体(組織)の利益を損ね、ひいては自分の地位が脅かされることになるのを恐れて行動することができなかった。このことを非難するのはたやすいが、自己の不利益につながる行動をそれが正義だからという理由で起こすことができる人は限られている。内部告発者を保護する法制は形式的には整備されてきたが、報復的に解雇や降格などの不利益な処分を受けてしまった事例は枚挙に暇がない。既存の企業や行政組織の内部から、それらの組織が引き起こす(可能性のある)不正義をただす動きが起きることが難しければ、外部からの働きかけで是正する以外にない。

では歴史的にそのような働きかけは誰がどのようにして起こしてきたのであろうか。公害とか巨大開発に伴う地域の荒廃とか不正義が発生してきた歴史を顧みればそこには共通のパターンを見て取ることができる。多くの場合、最初、不正義を押し付けられた人々の対応は忍従である。被害を行政や加害企業等に訴えても相手にされない、あるいは多少の代価とひきかえに沈黙する。やがて被害者の間で状況を共有し、連帯して対処しようとする動きがあらわれてくる。しかし被害者は因果関連を究明する専門的スキルを持っていないのが普通である。そこには必ず専門家の支援と啓発が必要となる。それが前節で述べた知のエンパワメント(の一部)である。

しかしそれだけでは十分ではない。水俣では水俣病患者の公式確認の数か月後には熊本大学研究班がチッソの排水が最も疑われるという結論を出していた(1957年)。同年,熊本県食品衛生法を適用することによる水俣湾の魚介類摂取禁止を計画したが、照会を受けた厚生省の回答が、水俣湾の魚介類すべてが有毒化している証拠はないので食品衛生法を適用できないというものであったため、県は適用を断念した。厚生省のこの見解は他の食中毒事例と比較して異例であり,その背景には「法的な禁止措置をとれば、水俣湾の魚介類を汚染している工場排水に当然目が向けられることになるからである」(水俣病研究会)(56)ことが指摘されている。またその当の厚生省も1958年には水俣病の原因はチッソの排水であるという公式見解を示していた。しかし通産省チッソの操業が止まることを恐れ、有機水銀排出を規制対象とすることをみとめなかった。水俣市でも、市税はチッソに依存しており、チッソが操業を停止すれば5万人の市民に影響が出るとして市長がチッソの操業継続(つまり排水継続)を県に要請するなど権力側は一貫してチッソを擁護し、被害者に敵対し続けた。このように水俣チッソの排水によって水俣病が起こることが早くから分かっていたにもかかわらず,有機水銀を含んだ排水は止まることなく,被害は拡大していった(以上の経緯は水俣病研究会「水俣病事件資料集-1926-1968」による).

そこには,4大公害裁判の他地域と比しても企業の影響力が強く,解決に向けた被害者の社会的・政治的な影響力がきわめて微弱であったという事情がある.もちろんこれは被害者の罪ではなく,企業とその企業の責任を糊塗し続けた行政の責任である.しかし水俣病の歴史の初期に被害者が社会的・政治的な力をつけ,市民としての権利を行使することができていたら,水俣の悲劇の規模はずっと小さかったであろうという思いは禁じ得ない.もし有機水銀汚染が東京湾で起こっていたらということを考えてみてほしい、工場排水との因果関連が確定していなくても,その疑いが起こっただけで国、自治体は規制に動いたであろう。権力基盤を脅かすような激烈な社会的・政治的運動が起こったであろうからである。このことは知的エンパワメントの次の段階または並行して、市民が社会と政治を動かす力を身につけること,つまり社会的・政治的エンパワメントが必要となることを示している。

社会的・政治的エンパワメントは市民自身の主体性においてなされるべきことは言うまでもない.しかし上にも見た水俣に典型的に見られるように公害とか巨大開発とかの被害者は多くの場合,社会的・政治的な力を持っていない.再び水俣の例でいえば,漁協や水俣病患者家庭互助会はチッソが有毒物質を排出していることは初期のころから良く知っており,交渉や抗議行動を繰り返し行ってきた.しかし,それらは知事や市長らによる調停につながりはしたが,生活苦もあり,わずかな補償,見舞い金で妥協せざるを得なかった.むしろ補償によって有毒物質を排出することを漁民や被害者にみとめさせたのだとすら言える.

事態が動き始めたきっかけは1967年の新潟水俣病被害者による提訴である.新潟では患者発生の報道の2か月後には支援組織が立ち上がり(新潟県民主団体水俣病対策会議),その組織に所属する弁護士の支援の下,裁判が起こされたのだが,そのことが水俣の患者と市民を刺激した.「それが(水俣がそんなときに、)新潟から裁判を出した。熊本の人たちもびっくりしちゃって。自分たちはわずか 30 万円の見舞金で事件落着に同意したけど新潟が立ち上がったと。我々も考えようじゃないかということで、裁判を提起したのが熊本の第一次訴訟」(新潟水俣病訴訟第一次訴訟患者側弁護士坂東克彦の談話)(57),患者と接触した千場弁護士が青年法律家協会の弁護士に呼びかけ,水俣病法律問題研究会を作り、研究会が患者から提訴の依頼を受けて,水俣病訴訟弁護団が結成され,水俣病第一次訴訟。

弁護団は被害者と密接に連携し,周到な戦略と論理で法廷に臨んだ.たとえば汚悪水論である.弁護団は原因物質の特定とそれが水俣病を起こすことの詳細な因果関係の立証を迫るチッソに対して,「工場排水が被害を与えたこと自体が不法行為であり,詳細な因果関連の立証までは必要ない」とする汚悪水論を展開した.第一次訴訟弁護団長の馬奈木 昭雄は,工場長を生け簀に魚を入れた船に乗せ,船を工場排水の流れてくる場所に乗り入れると,生け簀魚がたちまち死んでいく様子を見せて,工場排水は毒だ,と迫る漁民の論理を汚悪水論を典型的に示すエピソードとして紹介している(土肥勲嗣)(58)

熊本地裁は厳密な因果関係が立証されない限り企業の責任は問えないというチッソの主張を立ち退け,「被告は、予見の対象を特定の原因物質の生成のみに限定し、その不可予見性の観点に立って被告には何ら注意義務がなかった、と主張するもののようであるが、このような考え方をおしすすめると、環境が汚染破壊され、住民の生命・健康に危害が及んだ段階で初めてその危険性が実証されるわけであり、それまでは危険性のある廃水の放流も許容されざるを得ず、その必然的結果として、住民の生命・健康を侵害することもやむを得ないこととされ、住民をいわば人体実験に供することにもなるから、明らかに不当といわなければならない」と汚悪水論の論理を採用した(吉村良一)(59)

また弁護団は被害者の生活の中に裁判を取り込む戦略を取った.被害者の協力を得て,裁判官を被害者の家一軒一軒に連れて行き,直接被害の実態を見せたのである.こんな例がある.45°の湯を入れた湯呑を裁判官に持つことができるかどうか試してみるよう促す.裁判官は持つどころか持ち上げることすらできない,ところが患者は平気で持ってみせる.疑いようのない神経障害が起きているのである.またこんな例もある.患者が入浴しようとベッドから風呂場に歩こうとするが家族が介助してもどうしてもできない,二人でベッドサイドで泣き崩れるのを会社の代理人が「もうやめましょう,こんな残酷なことは」と止めた.しかし「こんな残酷なこと」が毎日繰り返されているのであり,裁判官は人間としてこの残酷な事実を受けとめざるを得ない.映画「MINAMATA」のモデルとなった写真家ユージン・スミスの撮影した胎児性患者の写真も患者の家族と弁護団が相談した結果,スミスに撮影を依頼したものである(土肥勲嗣)(58).被害者は弁護団と一体となって勝訴を勝ち取ったのである. 

企業との対決の場は法廷だけではない.世論も重要な対決の場となる.熊本市に「水俣病患者と水俣病市民会議への無条件かつ徹底的な支援」を目的とした「水俣病を告発する会」が1969年に熊本で結成され,水俣病裁判支援ニュース「告発」という機関紙を通じて全国に水俣病の実態を伝えた.彼らは「金儲けのために人を殺した者は,それ相応のつぐないをせねばならぬ」という「復讐法の倫理」を掲げ,「苦界浄土」を著した石牟礼道子のアイデアにより,被害者の抗議行動に際して黒い「怨」旗や「死民」と書かれたゼッケンを提供した.それは前近代的な,しかしそれだけに強烈に感情に訴えるシンボルであり,社会に水俣で起こっている非道を訴える大きな力があった.熊本告発の機関紙『告発』は最高発行部数 1 万 9,000 部に達し,東京,京都など全国各地に「水俣病を告発する会」が設立され,「共闘した政治的なネットワークとして機能し」た.「告発する会」の戦略は被害者と共に「加害企業や行政との直接交渉によって社会にインパクトを与え,それによって運動への社会的支持を拡大し,その支持を後ろ盾に加害企業や行政を動かそうとするもの」(平井京之介)(60)であり,それは見事に功を奏し,政府もチッソもその非を認め,補償など一連の措置を取らざるを得なくなった.水俣病被害者は水俣においては無視され,抑圧される存在であったが,このように世論に注目されることによって,その被害の惨状が全国に憤激と共感を呼び,被害者にある種の文化資本を与え.それがチッソと国への交渉に際して大きな力となっていったのである.

以上,水俣を例に市民の社会的・政治的な力量構築について述べた.市民がその権利を行使するためには,法律等によって権利を与えられているだけでは十分ではない.社会的・政治的な影響力を持たない人々は権利を行使するための資源を持っていないし,権利があることすら知らない場合が多い.その状況を変えるのは,第一義的には市民自身が社会的・政治的な力量を自らの内に構築することではあるが,その力量を構築するためには法曹,医療,メディア等様々な外部の人々とつながり,支援を受けること,その前段として,つながる道をつける支援が提供されることが必要となる.それは「つながりのエンパワメント」とでも呼ぶべきものであり,それが外部者の関与の根拠の一つであると私は考える.

民主主義社会の能力構築-民主制の専門化あるいは啓発された民主主義―

前章では市民参画の根拠としての「科学技術の政治化」を扱った.筆者はこれを平川秀幸の言う「専門性の民主化」(1)に対応するものとして考えている.平川は「専門性の民主化」を有効に進めるためには「「民主制の専門化」が不可欠である」として「政策 決定過程やそこでの科学的プロセスが広く社会に開かれても、社会の側に有意味な科学的・ 政策的貢献ができるだけの能力がなければ、「民主制の民主化」も「専門性の民主化」も有名 無実になってしまうからだ。」と述べている.この章ではこの「民主制の専門化」について考えてみる.

平川の言にあるように「民主制の専門化」は民主主義社会の能力構築である.これは究極的には社会を構成する個人の能力構築(科学技術リテラシーの涵養)をどう行うのかという問い,つまり啓発に帰着する問題であろう.しかしこのこと(科学技術リテラシーの涵養)の具体的内容は本論考の第3部「科学リテラシーの再構築」で述べることとし,以下では「民主制の専門化」が可能かどうかという理念的な問題について述べたい.

市民による意思決定の質 専門的事項について市民が判断できるのか?

「科学技術と社会の相互作用」の章で教育の課題として「科学が社会に遍在し、科学と社会が分かちがたく結びついて、いうなれば科学―社会複合体となっている現代という時代を俯瞰的に眺め、科学と社会のあり様とあるべき方向性を考えることのできる観点(切り口)の獲得であろう。少し大げさに言うならば、文明論的視点で現代の科学文明をとらえることといってもよい」があることを述べた.

科学技術に関わる問題について民主的な統制を行うためには,市民自身がその問題について何らかの判断を行う必要があり,そのための教育というか市民の学びが必要となる.しかしそれは市民が科学技術について科学者や技術者と同じレベルの知識を持ち,それによって科学技術がかかわる問題を判断することではない.それは端的に不可能であるのだがそれだけの理由ではない.市民が行うべき判断とは,専門家の行う判断とは異なる.上述のように「科学―社会複合体となっている現代という時代を俯瞰的に眺め、科学と社会のあり様とあるべき方向性を考えることのできる観点(切り口)の獲得」に基づく判断である.やや突飛なたとえであるが,政治指導者による軍事的意思決定と同種の判断と言えるかもしれない.

たとえばアメリカ大統領は世界最強の軍の最高司令官ではあるが、大統領になるにあたって軍事の専門家であることは求められない.国防省等の官僚や参謀本部の軍人、補佐官が意思決定すべき問題についてブリーフィングを行い,可能な選択肢を示し,大統領は同盟国との関係とか世論とか軍事以外のことも考慮に入れながら,示された選択肢の中から,あるいは示された選択肢を超えて日々判断を行うのである.アメリカでなくどこかの小さな国の指導者であっても軍事政権でないかぎり意思決定の本質は同じである.指導者に求められるのは,専門知識ではない.専門家の補佐を受ける必要はあるが,総合的な判断力であり,一般的な常識や良識に基づいて意思決定していくのである.

シビリアンコントロール(文民統制)の最大の眼目は軍の暴走を防ぐことであり、また重要事項の意思決定が政治指導者に独占され、他のステークホルダーが関与できないという点で科学技術政策とは大いに異なる。その意味で同一視はできないが、きわめて重大で専門的な事項であっても専門家の補佐を受けながら一般的な常識によって判断していくという意思決定の構造、専門家が選択肢を示し選択は政治家に委ねるという専門家の立ち位置は参考になるだろう。

このような例を示したのは,高度に専門的な事項にかかわる判断を専門家ではない人間ができるのだろうかという当然の疑問に答えたいためである、現に政治指導者は軍事という高度に専門的な事項についての判断を行っているのであり、これは適切な専門家の補佐があれば、専門的な知識が必要な分野でもレイマンコントロール(素人による統制)は可能であることを示している。社会が科学技術についての意思決定を行うことは同様の構造の下に可能ではないだろうか.

このような論じ方には非現実的という懸念もあるだろう。選挙と政党内の競争を勝ち抜いてきた政治家はそれなりの資質を備えた選良であり,市民と政治家を同列に論じることは適当ではないのではないか、たとえばイギリスのEU離脱の賛否の際の議論やトランプ政権時のあからさまな嘘を国民の多くが信じてしまう(もっともトランプも「選良」ではあったが・・)ということに見られたように、質の高くないポピュリズムに訴える議論に市民は流されやすい,衆愚政治になってしまうのではないかという懸念である。この懸念には一定の説得力があることは否定できない。

しかし市民の間で自主的で質の高い議論が行われ,それが当該地域の政治的意思決定を主導した事例,民主制の専門化が成功し,衆愚とはならなかった事例も過去には見られる.著名なものを2つ挙げてみよう.

まず静岡県三島・沼津・清水地域における石油化学コンビナート建設反対運動である.以下の記述は「「三島・清水・沼津コンビナート反対闘争」における直接民主主義と公共政策」(小林由紀男),「石油コンビナート反対闘争」(三島市役所HP),「清水・三島・沼津石油コンビナート反対運動 ――住民組織の発展と学習会―」(西岡昭夫・吉沢徹)による.

1963年,東駿河湾地域(三島・沼津・清水)石油コンビナート建設が計画された。三島市では先に誘致した東洋レーヨン工場による地下水くみ上げによる水不足に悩んでいたことがあり,企業誘致への市民の疑念が芽生えていた.折から四日市公害が大きな問題になっていたこともあり,住民は行政関係者とともに公害被害が問題になっていた地域へ見学者を送りだし,公害被害の惨状をつぶさに見学した.特に四日市見学は住民に大きな衝撃を与えた.「行政関係者や漁民、住民の代表などは住宅地域と石油コンビナートが隣接する中で大気汚染被害が激甚化している様を目のあたりにした。この経験がその後の反対運動の方向性を決定づけた」(1).四日市と同様のことが東駿河湾で起こることへの懸念が住民の間で広がったのである.

見学会後,少人数の学習会が数百回行われ,学習会ではメディア報道,学術資料などが使われたが,とりわけ効果的だったのは住民自身の作成した資料であった.「この時期、住民グループの代表たちはバスを連ね、四日市千葉市などの視察に出かけているが、その体験を自分たちの言葉でまとめ、学習会などで視聴覚資料として使用していた」(1).そしてその結果,「われわれ三島市の農民は、近隣の市、町の工業化による地価の値上りを羨望の目で見ていたところであり、内心喜んだが、四日市の石油コンビナートにおける公害の噂を耳にし、不安でもあった。そこで先進地見学ということになり、四日市・倉敷・千葉等へ出向き、特に四日市ゼンソクを目にして、公害に対する認識が芽生えてきた。特に幼児を持った婦人層は真剣になってきた。その結果、われわれ予定地農民は、種々手をつくして資料を集めて研究し、百回を越す学習会を開き、終り頃には地区の老人までが公害を話題にし、PPM等の聞きなれぬ学術用語を口にするまでになった。」(2)という証言に見られるように住民の学習が進んでいく.学習会の内容は「公害という「言葉」の考え方に始まり、石油化学、火力発電所、亜硫酸ガス、逆転層、地下構造と地下水、四日市ゼンソク、気道抵抗、肺性心、石油業界の資本構成、財閥、公共投資、社会開発、地方自治など工学、自然科学、医学、政治経済学」(西岡・吉沢)にも及んだ.「市民は博学になることが自己の防衛にとって絶対必要であることを感じていた」のである.住民は学習会で知見を得ただけではない.学習会は「意識伝授の場でなくて、知識を生み出して力に変える場」(3)になっていった.自治会、婦人会、青年団などの地域集団からなる「石油コンビナート対策三島市民協議会」が結成され,この協議会には,のちに教職員組合や商工会議所などの職域グループが次々に加わっていき,全戸アンケート(三島市婦人連盟が実施)で9割を超える市民が反対運動を支持することになっていったのである.三島市長はこの状況を見て民意は決したと判断し,市としてコンビナート建設に反対するという声明を出した.沼津,清水では三島ほど住民の意見が統一されていたわけではないが,民意は明らかに反対に傾き,清水町長(反対声明の発出は清水町が最も早い),沼津市長も相次いで反対を表明した.当時,富士石油などの企業,国(通産省)、静岡県はコンビナート推進の立場にあり,とりわけ静岡県は広報において「公害は全く考えられない」「亜硫酸ガスはごく微量」「コンビナートは漁業を妨げない」などのあからさまな誘致推進の言説を行い,市長選への介入まで行っていたが,地元自治体の反対を無視してまで強行することはできず,コンビナート建設計画は撤回された.

以上の経緯の中で注目すべきはやはり学習会である.学習会の積み重ねが市民の知見を高め,学習会によって市民が横につながっていく,そしてその中で市民の意見がまとまっていく,学習会は市民の自己教育の場であり,同時に「公害反対の声を一本の糸によりあげてゆく糸車の軸芯」(3)として機能したのである.専門家の存在も忘れることはできない.三島市が委嘱した松村調査団(国立遺伝学研究所の研究者や沼津工業高校の教諭から構成される調査団)は学習会に丁寧に足を運び,市民に調査結果やその意味を報告している.このことが市民の公害への理解を促進したことは疑いない.現代の言葉で言えば「市民科学」と呼べる研究実践も行われている.沼津工業高校の生徒たちは「西岡教諭の指導で鯉のぼりによる気流調査をおこなった。5月上旬の連休を中心に10日間、朝6時から夜8時まで、鯉のぼりの向きを調べた結果をもちより、地図のうえに精細な気流図を書きあらわした。別の生徒たちは、牛乳ビン100本を狩野川に放流して、汚染された排水が駿河湾に流れこむ方向をたしかめる海流調査をおこなった」(2)。この研究は国の調査団の報告を覆す結果となり,専門家の指導による市民による研究の初期の成功例となった.専門家の補佐の下,市民が知見を深め,時には自ら調査を行い,民主的に意思決定していくという民主制の専門化の一つのモデルケースであったと言えるだろう.

次に「吉野川住民投票」(4)を主な資料として徳島県吉野川第十堰について見てみよう.第十堰は吉野川を分流するために設けられ,1752年から1878年という長い年月をかけて築造された石造りの堰である.建設省(当時)はこの第十堰を撤去し,可動堰化する計画を1991年に決定し,計画内容について審議する吉野川第十堰建設事業審議委員会を設置した.この委員会は1998年に可動堰化が妥当とする答申を建設省に提出した.可動堰化による環境や財政への悪影響を懸念した市民有志は吉野川シンポジウム実行委員会を立ち上げ,1993年に「吉野川の自然と第十堰改築を考える」というシンポジウムを行った.シンポジウムへの反響は大きく,当初,1回限りのシンポジウムの予定だったが,以後,シンポジウム実行委員会は,シンポジウムの開催の他に,建設省への情報公開要請,自然観察会,カヌーによる川下りなどさまざまなイベントも行い,市民に吉野川と第十堰への関心を喚起することに努めていった.「吉野川シンポジウム実行委員会」は可動堰化に反対というよりも市民の意見を聞いて決めてほしいというスタンスをとるものであった.1995年にはさらに「ダム・堰にみんなの意見を反映させる県民の会」が発足したが.この会のスタンスも可動堰への賛否は問題にせず,市民の意見を反映させる手続きのありかたのみを検討の対象とした.「本当にみんなが可動堰が必要だと考えるなら造ればよいと割り切っていた」のである.しかし建設省,県,市町は建設推進で一致しており,世論調査で可動堰に反対する意見が多数を占めても変わることはなかった.

政治が動かないことに危機感を覚えた市民は1998年に「第十堰住民投票の会」を立ち上げ,住民投票条例制定請求のための署名集めを徳島市で開始した.1カ月で徳島市民の49%の署名が集まり,市に提出された.しかし市議会は条例案を否決し,いったんは住民投票は白紙に戻った.だが「第十堰住民投票の会」は市議会議員の構成を変えることによって住民投票を実現させようと戦略を転換し,1999年の市議会議員選挙では条例賛成派が躍進し,議会の過半数を占めることになった.その後,選挙時には条例賛成だった議員の一部が反対に転じるなどの混乱があったが,結果的に条例は成立し,同年投票が行われ,投票率55%,可動堰建設反対が92%で民意は可動堰建設に反対であることを明白に示した.翌2000年には建設省は第十堰改築を撤回することとなった.

この吉野川第十堰をめぐる市民の動きにも清水・三島.沼津石油コンビナート同様の学びの構造を見て取ることができる.吉野川第十堰の場合,市民の学びの仕掛けを作り上げていったのは吉野川シンポジウム実行委員会であった.上述のように実行委員会はシンポジウム,親水イベント,市民アンケート,ダム事業審議委員会の傍聴呼びかけ等を通じて市民に第十堰への関心を喚起し続け,そこからさらに新しい市民グループが生まれるというように市民の学びの母体であり続けた.それらの市民グループが日常的に学習会を繰り返し,徐々に第十堰への関心が広がるとともに改築の問題点も広く理解されるようになったことが,徳島県全体でも,第十堰周辺の自治体でも改築反対という意見が過半数を占める(1998年,四国放送による世論調査)結果につながっている.

実行委員会やそこから派生した市民グループは治水工学や法学,生態学などの専門家の助言を受けながら建設省の治水計画の検証も行っている.特筆すべきは建設省の治水計算の誤りを発見・指摘したことであろう.建設省は第十堰の水のせき止めが第十堰上流の水位をかさ上げし,150年に一度の大雨が降ると危険推移を42cm超えてしまうという計算結果を第十堰撤去・河口堰建設の根拠としていた.計算手法としては,斜め堰である第十堰を,計算上河岸に直角に設置された堰と仮定して計算する堰投影計算方式を採用したが,その際,堰の高さを過大に,堰の長さを過少に見積もってしまい,水位計算も過大になってしまったのである.清水・三島・沼津石油コンビナートと同じように,市民科学の有効性を示す格好の事例となっている.

 この2つの事例のいずれにおいても住民投票やアンケートの結果によって政治的意思決定を行う事は間接民主主義の否定であり,専門的知識のない市民の感情的な判断は危険であるという批判がなされたが,市民の意思決定(住民投票は首長や議員を拘束するものではないので,厳密に言えば意思表示)は個別の政治的利益に足をとられる首長や議員よりもむしろ明確な根拠に立脚した理性的なものであった.国や県,大企業といった大きな権力を持ったアクターが繰り出す利益誘導、専門家を動員した推進言説の流布に対して、市民は説得力ある対抗言説を構築できたのである.なぜこれらの事例はこのような成果を収めることができたのだろうか,いいかえれば衆愚とならなかったのだろうか.そこには次のような理由が考えられる.

(1)対抗的公共善の提示

 清水・三島・沼津コンビナートの場合は地域の経済的発展,吉野川第十堰の場合は治水という公共善(公共の福祉)の達成のために必要というのが国や県の論理である.それに対して地域の市民は各自の個別の利害を主張したわけではない.個別の利害ならば,たとえば補償金というような形で個の利益を積み増すこと,条件闘争に引き込むことによって説得することができる.実際,原発のような巨大開発では漁協や立ち退き住民の説得にこの手法が多用され,成功している.しかし市民が依拠したのは環境や健康,美しい景観の保全,地域の文化の伝承(吉野川第10堰の場合,第10堰自体が文化財の性格を持っている)といったもう一つの公共善,あるいは対抗的公共善というべきものであり,国や県の主張する公共善に対抗しうる固有の論理を持っていた.対抗的公共善が持つこの固有の論理の説得力が市民に納得と自信を与え,国や県が仕掛けてくる条件闘争に取り込まれないしっかりした足場を与えたのである.

(2)補完性原理 市民が求めたのは対抗的公共善だけではない.それ以上の大義となったのは「地域のことは地域で決める」という考え方,県とか国といった上位の権力に決定を委ねず,自らの頭で考え,自らの意志で地域の未来を決めたいという意識である.これを政治学の言葉で言えば補完性原理(政策決定はコミュニティにより近いレベルで行われるべきという原則)にあたるだろう.

三島・沼津・清水においても吉野川第十堰にしても,基礎的自治体(市町)の政治(議会,首長)は概ね少なくとも当初は県や国の意を受け,コンビナート,河口堰推進の立場であった.しかし最終的には全戸アンケートや住民投票の結果,さらには選挙結果を受け,地域の民意を受容した意思決定を行った.様々な形で巻き返しを行って主導権を取り返そうとしていたことから考えると,必ずしも納得したというわけではなかったと思われる.地域の民意を受容しなかった場合の政治的リスクと受容した場合の国や県との関係悪化などのリスクを比較し,渋々ではありながらも民意を受け入れる決断をしたのであろう.しかし結果として地域の民意に沿った決定が行われたことは確かなことである.これは意外に重要なことである.基礎的自治体の政治家にとって上級権力よりも地域の民意を優先することが政治的利益につながることを示した,つまり(政治家自身は意識はしなかったかもしれないが)補完性原理の先例になったからである.同様なことは新潟県巻町や高知県窪川町(原発建設)にもみられる.ただし補完性原理が全く通用していない場合もあることを忘れてはいけない.安全保障である.沖縄の辺野古基地建設に見られるように,どのような民意が示されても上級権力がそれを無視して政治的意思決定を行うことはありうる.

なお言うまでもないことであるが,補完性原理は自らの意志で決める以上その結果は自ら引き受けるという責任と表裏一体であること銘記しておかなければらない。.

(3)ボトムアップの学びの場とそれを補佐する専門家の存在 選挙運動,デモなど街頭でのアピール等も行われたが,運動の中核は学ぶことであった.三島・沼津・清水においても吉野川第十堰にしても当該問題に対する市民の関心が高く,学びの場(学習会)が自発的に多数出現し,その中で市民が問題に対する学びを深めることができた.専門家は多くの学習会に直接足を運び,市民の不安や疑問に誠実に答えようとした.当時沼津工業高校に勤務し,松村調査団の一員として気象調査を担当した西岡昭夫は「学習会は対話形式であった。こうして、難解で初めて聞くような科学的な話が砂地に水の滲みこむように入っていった。博学になるという喜びの中で「科学する住民」ができあがり,ここに此の運動成功の鍵がある」(   )と述べている.「博学になるという喜び」という表現はやや大時代的に聞こえるが、これは市民が専門的知識を何か自己と無縁の難解なものではなく,自己にとって切実で具体的な問題の文脈の中に位置づくもの,その問題に対処する力量を向上させてくれるものとして受け取り,だからこそ「砂地に水の滲みこむように」受け入れることができたことを意味している.今の用語でいえばエンパワメントであり、キャパシティ・ビルディングである.そのため専門家は「人々が今どのような知識を要求しているかを的確に知るために関係諸分野の研究を徹底的に学習し」という入念な事前準備を行い,市民と対話し,単なる知識提供者ではなく学びのファシリテーターとしての役割を果たしている.トップダウンではなくボトムアップの学びが成立しているのである.

この例は市民の側に学びのニーズ(モチベーション)が存在し,それに専門家が的確に応答しようとし,さらに両者を結ぶ場(学習会)があれば,市民は比較的短期間で適切な科学技術へのリテラシー(一般的な科学技術に関する知識という意味ではなく、当該問題を判断するのに必要なリテラシー.自然や社会についての地域固有の知識を含む一方で、当該問題を判断するのに直接的には必要ない知識は含まなくてよい.)を身に着け,問題を判断することができる(専門家のように判断するという意味ではなく,主権者としての意思決定をするのに十分な情報を得たうえで主体的に判断するという意味)ことを示していると考えられる.

(4)民意を示す機会の存在

 通常の市民生活の中では、地域の有力者でもない限り、市民が政治的意思決定に関与する機会は選挙ぐらいしかなく、選挙と選挙の間は政治家が政治を取り仕切る。それが間接民主主義といえばそれまでだが、民主主義の本旨である「市民とは統治者のことであって、すなわちそれは、自己の統治者、共同社会の統治者、自分の運命の支配者であることをさす。」(5)という感覚は希薄になりがちである。結果、多くのことはお上まかせになり、市民は権利の意識も責任の意識も政治への関心も薄くなり、政治の主体ではなく客体になってしまう。このような市民の姿を見慣れている政治家が、政治的意思決定を直接の民意に委ねることへの危惧を抱くのは当然ともいえる。政治家が住民投票などを間接民主主義の否定として拒否反応を示すのは、あながち自分たちの権限が制約されるという不快感からだけではないのである。しかし、上の例の場合,結果として民意は情緒的・盲目的なものではなく、むしろ「啓発された民意」と言うべきものだった。その民意を形成したものは明らかに市民の学びであり、市民の学びは市民の意思を表明する機会の存在(住民投票、全戸アンケート、選挙(争点が絞られ、その争点に関する市民の意思がはっきり示される選挙))に触発されたものであった。市民の意思を表明する機会の存在が市民の学びを促進し、この2つが相互強化することによって「啓発された民意」,つまり「啓発された市民」をもたらしたのである。ある問題について正しく判断する(ここでいう「正しい」とは善悪という意味ではなく,その判断が何を意味するのか理解されたうえでの判断という意味で使っている)ためにはその問題について知ろうとする意欲と一定の知識が必要となる.その意味で「啓発された市民」の存在が「啓発された民意」の前提である.しかし,だからといって「啓発された市民」が少ないのだから「啓発された民意」などあろうはずがないというのも一面的な見方である.民主主義がまだ疑惑の目でみられていた18世紀後半にトーマス・ジェファーソンは「もし、人民が充分な思慮をもって支配権を行使するほど賢明ではないと思うなら、対応策は人民から権力を取り上げることではなく、人民に思慮を教えることなのだ。」(5)と述べた.判断する機会の存在は「人民に思慮を教える」,つまり市民の啓発の絶好の機会であり,判断する機会の存在が意欲を育て,知識を育むこともまた事実なのだ.

ただしこれはある問題について民意を表明する機会が存在することが直ちに「啓発された民意」をもたらすことを意味するものではない.「啓発された民意」のためには市民が自らの価値観を他者の価値観(それは時に対立する場合もある)とすり合わせる熟議を行い,その中で各自の価値観を公共の規範(上記の公共善)へと再構築する学びのプロセスが必要である.それなしでは情緒論となり、まさに衆愚となる。その点は留保する必要があろう.

(5)市民科学 市民自身が公害被害地へ出かけて聞き取りをしてきたり,気流の調査を行うなど市民科学の実践が行われ,その参加者の学びが他の市民に還元されるという市民科学による学びが行われた.市民科学は広域で多数の参加者を同時に得ることができるため,簡易で標準化された手法があれば,大きな成果が期待できる.市民科学については次章で詳しく述べることとしたので,ここではこの程度にとどめておこう.

(1)小林由紀男(2017):「三島・清水・沼津コンビナート反対闘争」における直接民主主義と公共政策 : 住民運動から市民的コンセンサスへ,立教大学大学院法学研究49巻,1 - 38

(2)三島市:石油コンビナート反対闘争,

https://www.city.mishima.shizuoka.jp/ipn001983.html

(3)西岡昭夫・吉沢徹(1968):清水・三島・沼津石油コンビナート反対運動 ――住民組織の発展と学習会―,行政研究叢書,1968巻7号,217-241

(4)武田真一郎(2013):吉野川住民投票―市民参加のレシピ, 東信堂

(5)ベンジャミン・R. バーバー(2009):ストロング・デモクラシー: 新時代のための参加政治,日本経済評論社,竹井隆人訳 ジェファーソンの言葉はウィリアム・ジャービスへの手紙の文中のもので,この本から引用した

 

科学技術の政治化―技術システム選択への市民参加とDP(討論型世論調査)

 改めて本章冒頭に述べた「民主主義社会においてはすべての市民が、その社会が将来どうあってほしいか、どうあるべきかという社会像の選択に関与する権利と義務を持っている。そして上述のように科学技術は「何が社会にとって良いことなのかという価値観の選択」、社会像の選択に深くかかわっている。この2つを前提とするならば、すべての市民は科学技術に関与する権利・義務を持っていることになるのは必然である。」に立ち戻ってみよう。

社会像の選択、別の言葉で言えば社会のあり様を決めていくということは、政治と深いかかわりがある、と言うよりも政治そのものと言ってよいかもしれない。つまり「すべての市民は科学技術に関与する権利・義務を持っている」ということは政治という価値観の相互作用(対話、協調、衝突等)の場、価値観のアリーナの場に科学技術に出てきてもらうことを意味している。私はこれを「科学技術の政治化」と呼んでみたい。

「科学技術の政治化」は政治的利益のために科学を利用するという意味のpoliticization of scienceと紛らわしく、スターリンによる生物学の介入がもたらしたルイセンコ事件(注)、政治の強力な支持のもとに行われたナチスの人体実験、原爆製造への科学技術者の動員といった忌まわしく、胡散臭いイメージが喚起されるかもしれない。もちろんそのような含意でこの言葉を使っているわけではない。一言で私の言いたいことを表現する他の言葉が思いつかないのでこの言葉を使うが、全く逆の意図で使っていることは最初に断っておきたい。

私の意図しているのは、政治が(正確に言えば権力を握る政治家や官僚が)科学技術とそれを担う人々を権力的に支配する体制とは真逆の形の政治と科学技術の関係である。具体的には

  • 科学技術の研究や実装を科学技術の進歩に伴う必然的な帰結ととらえるのではなく、その背後にはやはり価値観(より豊かに、国際競争により強く等)とそれに基づく選択が控えていることを、科学技術の専門家も、資源を配分する政治家や官僚も、そしてなにより市民自身が明確に意識し、その価値観と選択の問題を議論の俎上にのせる
  • 価値観である以上、だれが主体であるかによって異なってくることが当然であり、多様性が存在する。多様性を反映した議論の場を設定する。
  • その議論の場では、専門家の立ち位置は専門的知見を提供するという抑制的なものであることが望ましい。
  • 議論の場を実質的なものとするためには、価値観の多様性に対応した選択肢の多様性が保証されることが必要であり、そのために、科学技術の研究、その果実としての技術システムの形成・実装の初期段階から論点を可視化し議論を始める。
  • 官庁(官僚)は合意を形成する黒子ではなく、合意形成を支えるプラットフォームとしての役割を果たすべきである。

 科学技術の政治化の前提は、市民を含め科学技術にかかわる人々が、科学技術を人間の意図から独立して自律的に前進する自動機械とみなすのではなく、その進展は人間の価値観、つまり人々が何を科学技術に期待しているのか、何を恐れているのかに依存していることを認識することである。そして科学技術の進展が人々の価値観に依存している以上、科学技術がもたらす「好ましい結果」、「悪しき結果」は価値観によって変わりうることを意識することである。

これは自明のことのようにも思えるが、必ずしもそうではない。科学技術が近代以降の人々の生活にもたらした大きな変化は、科学技術が新しい便利さ、新しい豊かさあるいは軍事的強さをもたらすことを当然と考える意識をもたらした。これは国家間、企業間の文脈で言えば、科学技術を先んじて研究・開発・実装する者、企業、国家が先んじて豊かになれる、強くなれるということであり、特許などの先行者利得を考慮すれば、科学技術がもたらす新しい豊かさ・強さの供給にともなう経済的・軍事的利得を独占的・寡占的に享受できるということである。この論理に過度に依存すると、科学技術競争に勝利し、先行者利得を享受する、つまり科学技術で先んじていかに儲けるか、いかに強くなれるかということが最重要となり、それ以外の価値は二次的なものになる。場合によっては、採算という一定の合理的制約の存在する経済価値すら無視され。政府・軍・企業の注目する科学技術の研究・開発・実装における競争に勝つことが自己目的化する。「好ましい結果」はGDPを増やすこと、軍が強くなること、国際競争に勝つことであり、「悪しき結果」とはその逆ということである。経済価値や軍事的価値に回収されない価値、競争への雑音になるような価値観は顧みられなくなり、自然や文化の破壊、不公正の発生、一部の人たちの生活や健康への脅威といった不具合が発生しても、社会全体のためにやむをえないことととして無視されるか、被害の弁済という形で後始末的に処理されるようになる。科学技術を価値づける観点が単純化するのである。こうなると社会が科学技術に関わる決定を行う選択肢も単純化し、科学技術はあたかも自動機械のようにその選択肢の方向に動いていく、あるいは暴走していく。

 当たり前のことではあるが、経済的価値とか軍事的価値は重要ではあるが、価値の一部でしかない。社会が多様な価値観と利害を持つ多様な人々で成り立っている以上、社会が行う選択は、その選択が何をもたらすのか、どのような価値に貢献し、どのような価値を危険にさらすのか様々な立場の人々が吟味し、その結果、打ち立てられる合意という形で選択がなされて行かなければならない。理想的過ぎると言われることは承知しているが、熟議による民主的決定であり、つまりは熟議を経て政治が決めていくのである。

もちろん科学技術の場合、民主的に決定するとは言っても自然科学的事実を無視して決定するわけにはいかない。マスクがウイルス感染を防ぐために効果的かどうかは話し合いでは決まらない。しかし科学技術に関わって起きてきた諸問題(たとえば原発、変異型クロイツフェルト・ヤコブ病)を見れば、政策が実際には産業に与える影響(変異型クロイツフェルト・ヤコブ病が牛肉から感染する可能性を認めれば食肉産業は大変なことになるぞ!)とか官庁への信頼(ここまで進めてきた核燃料サイクル政策をいまさら止められるか!どぶに何兆円も捨てたと言われるぞ!)といった価値観をベースにして動いているのに事実基盤が過度に強調され、決定の背後には価値観が控えている事が隠され、科学技術の専門性が盾となってそのごまかしを正当化してきたことは否めない。人々も薄々それを知っているから政策を信頼しない。信頼が欠如していることを承知しているので、ますます権力的な政策決定が行われるという悪循環となり、科学技術に対する不信が蓄積されてきた。

必要なことは 科学技術の場合であっても、何か客観的真理で自動的に社会の選択が決まるわけではなく、社会の選択は熟議によって決めていくべきこと、熟議の参加者が自らの価値観(何を重要だと思い、何を優先すべきと考えるか、裏を返せば何が重要でなく、何を後回しにすべきか)とそれが自分の利害とどのように関連しているか(利害を隠すことによって不信が生まれるので利害を明確にすることは重要である)を明確にし、他者の価値観を理解しつつも、自らの価値観と公益の関連性、社会の取るべき道を主張し、議論することである。その際、競争と先行者利得は過度に主張されるべきではない。競争は人の目を曇らせ、冷静な利害得失の考慮ができなくなるからである。

もちろん熟議によって科学技術の進むべき道が決めることは容易なことではない、至難といってもよいだろう。熟議(というか議論一般に)は神のような公平な裁定者は存在しない。熟議に参加する人々がそれぞれの立場において合理的な判断をしているとしても(部分最適)、それを寄せ集めて組み合わせても全体として合理的な判断になる(全体最適)になるとは限らない。というよりも、そもそも合理的な判断というのはある価値観の枠組みを前提としてその枠内で、当該価値観をいかにコスト最小で実現していくかということでしかないのかもしれない。そうだとした場合、価値観を共有しない人同士の話し合いでの合意というのは、「合理的に判断した結果こうする」という合意ではなく「あなたのいうことには同意しないがよくわかった。私の主張がすべて通らなくても十分な話し合いの上の結論だから同意しよう」というプロセスへの満足感の表明でしかないのかもしれない。しかしそうであっても熟議が無意味だとは言えないと私は考える。熟議(意見の表明と十分な話し合い)というのは、話し合いの結果、良い結論が出るから必要というわけではない(もちろん、その方がいいに決まっているし、その可能性は高まるだろうが)。熟議は権利だから必要なのである。つまり熟議の正当性は結論の有効性ではなく権利に由来すると考えるからである。

では熟議をより多くの人々が幸せだと感じる方向でかつプロセスの正当性が感じられる方向で実践するための条件は何だろうか、一つには、繰り返しになるが初期段階からの関与である。ある技術システムが市民の目の届かないところで他の技術システムよりも優位なものとして選択され、科学技術の発展の必然的結果であって選択の余地のないものだとして提示されるのでは熟議の余地はほとんどない。当該技術システムの開発の初期段階、あるいは基礎研究から技術開発への進展への見通しがある場合には、基礎研究への着手の段階から情報公開が行われ、関係者の意見が総覧され、市民の目にさらされ、関係者相互、関係者と市民の相互交流が行われ、その結果如何で方向性を修正していく必要がある。研究の初期段階から社会とのコミュケーションを不可欠の要素として組み込んでおくのである。その際には、対抗技術の可能性やそれに応じた資源配分についても吟味されるべきであろう。大事なことは未来への分かれ道を見極め、タイミングを逃さず、意思決定していくことである。現状ではこの部分が専門家と官僚(実質的には官僚)の裁量(さらに言うならば恣意)に任されすぎている。初期の重要な決定が閉じられた小集団の中でなされ、その決定が当該科学技術の方向性を決めてしまっているのである。近年、医学研究においてPPI(患者・市民参画)が研究倫理の観点からだけでなく「研究の民主化」、「研究計画そのものの社会的妥当性の判断に患者。市民の視点を導入する」(1)の観点からも進められようとしている。この考え方は科学技術の他の分野にも援用されるべきであろう。市民参加を周辺的な要素ではなく、科学技術の研究開発・実装のすべての段階、特に初期段階の必須の要素として考えられなければならない。

もう一つは民意を可視化する議論の場の設定及びそこでの議論の政策への反映である。もちろん議会という政策についての議論の場がある。そして議会は法という形で、政策に根拠と強制力を与えるという意味で、きわめて重要な議論の場である。しかし個別の問題において議会の結論が民意と乖離することは決して珍しくない。前にも述べたように選挙は政策パッケージへの投票であり、個別の政策課題への民意を問うものではないからである。間接民主主義の宿命であり、政策間の整合性を取らなければならないという意味では、個別の問題について民意との乖離が直ちに悪いというわけではない。

ただ問題は審議会や与党内政策会合といった議会外の場が実質的な議論の場になっていて、議会では「法案が通るのか通らないのか、いつまでに通すのか」といったパワーゲームが優先され、政策の本質や、当該問題に対する民意は何かということが議論される場になっていないことである。議会に法案が上程されたときには調整が終わっており、審議を経ても本質的な修正は行いえない。議会が議論の場とならず、単なる多数決の場となっている。与党の意見=民意という単純な方程式しかないのである。学校で教わるような民主主義の基本理念である少数意見の尊重などは一顧だにされていない。

特に科学技術の問題については、たとえば総合資源エネルギー調査会がエネルギー基本計画を決めると、それがそのまま与党の政策になっていくように、審議会の比重が高い、そして審議会は、官僚が業界や与党(有力政治家、族議員)と舞台裏で調整しておおよその方向性を事前に決めてしまうことが多いのである。これは議会の実質的無力化である。

このような利害調整型の政治の弊害は国民の目にもよく見えており、不満はたまっている。だが変えようと思ってもどう変えたらよいのか、そのビジョンが見えないのである。ときにその不満が噴出し、しがらみを断ち切って改革断行を主張する政治家が支持を集めることがある。しかし、そのような政治は期限付き独裁といった様相を呈しやすく、必ずしも事態を好転させない。トランプ政権末期のように国民の間に分断をもたらす結果に終わりやすい。利害調整型でも独裁型でもない政策決定が求められるのである。

このような政策決定の仕組みを変えていくことが必要である。私になにか良い案があるというわけではないが、福島第一原発の事故後に行われた原子力発電への依存度に関するDP(討論型世論調査、専門家から何回か情報提供を受け、一定の知識基盤を形成した上で討論を行い、投票を行うというタイプの世論調査)は参考となるのではないか(2)。この調査では専門家やステークホルダーが討議して作成した3つのシナリオ(原発依存度0%、15%、20-25%)について全国から無作為抽出で選ばれた300名の参加者が東京都内に集まり、専門家の情報提供も受けつつ2日間にわたって議論し、最終的に原子力ゼロとする意見が過半数を占めた。そして同時に行われたパブリックコメントも踏まえて政府のエネルギー戦略が決定された。「それまで閉鎖的な意思がなされてきたエネルギー政策の分野において、市民参加のプロセスが導入され、政府の公式の政策決定に一定の影響を及ぼしたという意味で,日本における科学技術への市民参加にとって、このDPは一つの画期であった」(2)と評価されている(ただしその後の政権交代によって上記の決定は覆された)。

熟議を経た民意を知る手法であるDPは、間接的であるとはいえ民意を反映しているという意味で一定の正当性を持っている。議会に代わりうるものではないが、政策をめぐる議論の一つの定点、参照点となりうるのであり、関係者に一種の共通の足場を与えることができる。判決の持つ影響力を考えてもらえばよいかもしれない。判決は個別の事案に対するものであり、違憲立法審査のような特殊な例を除けば、議会や政府は当該事案以外の事案に対してまで拘束はされない。しかし実際には判決は、類似事例を扱う際の参照枠組みとして機能し、政策を変えていく力を持っている。判決が政策を巡る議論に収束点を与えるため、政策担当者もそれを足場にして次の議論をはじめることができるのである。

DPにこのような影響力を持たせるためには、間接的とはいえ、公的なプロセスを経て形成された民意ということに一定の正当性を与え、拘束はされないが尊重しなければならない責務を議会と行政府に課す必要があるだろう。DPと異なる政策決定を行った場合の説明責任を求めるのである。

専門家の立ち位置については議論をしておく必要があるだろう。DPにかかわる専門家の選任は専門家間に存在する意見の多様性を反映して行われる必要がある。科学技術に関わる多くの問題は社会像の選択にかかわる学際的なものなので、自然科学・工学だけでなく社会科学や人文学が関与する必要もある。これらのことを考えると、業界の利害にからめとられやすい官庁や特定の学会ではなく、俯瞰的な視野と公正への志向性を持つ学術団体が望ましく、具体的には学術会議が選任することが望ましいと考える。

DPの運営についても工夫をする必要がある。専門家間でほぼ合意がなりたつようことについてはあえて市民が意思決定する必要性はあまりない。専門家間で合意されていないこと、たとえば高レベル放射性廃棄物地層処分するのか人間がアクセスできる場所に暫定的に管理するのかといったことについてこそ市民が判断することが求められる。そのためには何が専門家間で合意されていないのか(争点)に論点を絞り、それぞれの専門家の主張の根拠は何かを聞きとり、争点とその根拠をめぐる専門家間の対話を傾聴して判断する形が望ましい。オーストラリアの裁判所では、高度な専門性が要求される事案では原告、被告間の権力・知識格差によって裁判の行方が左右されやすいという反省の上に立ち、従来の対審構造(双方が相手側証人の証言の信頼性を反証する方式、証言においては、証人は質問に答えることしか許されない)に替えてコンカレント・エヴィデンス方式(双方の専門家承認が同意できる点、できない点を明記した共同報告書を作成し、それをもとに裁判官、代理人、専門家承認が討議する)(3)が採用されているが、この構造と類似した手法である。

DPを運営するスタッフについては所管官庁が派遣するのではなく、学術会議の機能を強化し、官庁からの派遣職員でなく学術会議の専任スタッフが行うのが望ましい。官僚ではなく研究者として遇し,研究者の職歴として評価するのが望ましい.

 なお専門家とDPに参加する市民の関係は、最終的な選択の主体は市民であるという意味で、市民が主であり、専門家は専門的助言を提供するにとどまるという意味で従である。これは優劣の関係ではない。政治家と科学顧問のような関係、対等ではあるが、意思決定は市民が行うという意味である。

むろんDPの代表性には限界があり、議会の持つ「選挙で選ばれた人たち」という正当性と匹敵するような正当性は持ちえないことは確かである。また討議する問題に対して関心の低い市民は参加を忌避しやすく、結果的に関心の高い市民が集まりやすいという面がある。それが議論の質を保つことに働く一方で、代表制を損なう面もある。病気の人々、高齢者、障碍者といった意見を言いにくい人々への配慮も必要となる。オンライン会議が普及してきたとはいえ、地方や情報弱者への配慮という問題もあるだろう。しかし形骸化した審議会よりも実質的で民主主義の理念により適った方法となりえると考える。

ここではDPについて取り上げてきたが、何らかの形で民意が反映されるのなら、もちろん他の方法でもかまわない。イタリアやスイスが国民投票原発政策を決定したように非常に重要な問題については直接民主主義を適用することも考えられる。いずれにしろ、科学技術に関わる個別の問題について議会や行政府の意思決定に影響を与えるだけの重みをもった民意の表明が行われることが重要である。そしてそれを可能にするためには政府のしくみの変更も必要になるだろう。政府の意思決定の仕組みの中に、選挙だけではない民意の表明のための回路を制度的に組み込み、民意を練り上げていく場の提供も行うのである。その回路の設定とサポートを政府の公式の使命とすることが求められる。具体的な姿を想像することは難しいので、雑駁な言い方になるが、政府には政治家と官僚からなる法執行の機能だけでなく、様々な人々が集っては民意の熟成と出力を行う広場(プラットフォーム)としての機能も求めたいのである。

 

(注)ルイセンコ事件 ソ連の農学者であるルイセンコが獲得された形質は遺伝するという学説を唱え、それを信じたスターリンの指示によって、ルイセンコ学説に疑義を呈した生物学者が投獄したり処刑されたりした事件。政治の介入によってソ連における生物学の研究は著しく立ち遅れた。

 

(1)日本医療研究開発機構:患者・市民参画(PPI)ガイドブック ~患者と研究者の協 働を目指す第一歩として~、000055213.pdf (amed.go.jp)

(2)三上直之(2020):テクノロジーアセスメント、科学技術社会論の挑戦 2 科学技術と社会、127-148、東京大学出版会

(3)ピーター・マクレラン,:コンカレント・エヴィデンスⅡ,https://www.sci.tohoku.ac.jp/hondou/RISTEX/page4/page4.html

 

市民参画の根拠-科学技術の政治化 悪しきロックイン

前節で触れたロックインとは「一定の技術を社会が選択した場合、その技術がその後の社会の技術選択を一定期間選択する」(城山英明)(1)現象である。ロックインの例としてよくあげられるわかりやすい例はタイプライターのキーボードの文字配列であろう。安岡孝一(2)によれば、文字配列が現在の配列(Qwerty 配列)に固定されたのは、第一にQwerty 配列を取っていたレミントンと別の配列を取っていたカリグラフのそれぞれの製造会社が一つの持ち株会社の傘下に入り、その際にレミントンの配列に統一したこと、第2にレミントンとの互換性を重視してQwerty 配列を採用した同業他社のアンダーウッドが開発したタイプライターが、打った文字をその場で見ることができる画期的なタイプライターであったため、ベストセラーになったことによるという。またコンピューターのキーボードにQwerty配列が採用されたのも、初期コンピューターにおいて入力の主流であったテレタイプの開発者であるドナルド・マレーが文字配列にQwerty配列を流用したためであるという。コンピューターのキーボードの文字配列という地味ではあるが社会の基盤となっているスタンダードが確立されたのは、実は入力のしやすさといった技術の優位性があったわけではなく、多分に歴史的経緯によるのである。

ロックイン自体は、技術システム(ここでは、単一の技術ではなく、多数の技術が組み合わされた技術体系及びそれを支えるインフラ、社会制度も含めて技術システムと呼んでいる)と社会の関係を安定させ、技術システムへの投資を確実化し、技術システムから得られる利得を社会成員が確実に享受するために必要な過程ではある。しかしロックインは社会が一定期間、当該技術システムの虜となることであり、その技術システムの悪影響が明白であっても、別のシステムへ切り替えるコスト(スイッチングコスト)が膨大になりすぎるため、当該の技術システムが社会の中に強固に居座ってしまうことがある。いわば悪しきロックインである。もちろん、何が悪しきロックインなのかは人によって判断が異なる。ここでは私が悪しきロックインと考えている例をあげてみよう。

たとえば塩化ビニールである。塩化ビニールは樹脂製造時のモノマー(塩化ビニール樹脂の原料、発がん性を持つ)への曝露やモノマーによる土壌汚染、柔軟性を調整するための可塑剤の溶出による食品等の汚染、焼却時のダイオキシンの発生、焼却灰中の有害重金属(安定剤として鉛、カドミウムなどが使用される)など数々の問題を抱えているが、安価であり、柔軟性を調整することによって食品包装、農業用フィルム、電線被覆、建設資材などきわめて広範な用途に利用できるため、日本国内だけでも170万トン(2019年)が製造され、主要なプラスチックの一つとなっている。もちろん生分解はされない。プラスチックの中でもとりわけ多くの問題を含んでいるものではあるが、化学工業には塩化ビニールの生産をやめるわけにはいかない事情がある。

水酸化ナトリウムは紙類、アルミニウムの製造、中和剤など工業用に広範な用途をもつ重要な物質であるが、その主要な製造法は塩化ナトリウムを原料としたイオン交換膜法であり、副産物として塩素が発生する。塩素には塩酸製造、漂白、殺菌などといった用途はあるものの、水酸化ナトリウムの副産物である塩素の生産量はこれらの需要で必要な量よりはるかに多い。もちろん塩素は有毒ガスであり、そのまま捨てるわけにはいかない。化学工業としては塩素の処理が大きな問題となる。そこで救世主として登場したのが塩化ビニールである。塩化ビニールの原料はエチレンと塩素であり、塩化ビニールは「余剰塩素の格好の消費先」(村田徳治)(3)になっているのである。重金属を使わない製法の模索や焼却処分の方法の工夫など一定の対応はされてきているが、プラスチックの中でも環境負荷が大きな物質であることには変わりがない。ポリカーボネートなど、より環境負荷が少ない代替物質も存在するが、安価であることや水酸化ナトリウム製造との対応関係があるため、容易には切り替えることができない。塩化ビニルは化学工業の中にロックインしてしまっているのである。

もう一つもっと大規模な例をあげてみよう。アメリカではすでに1940年代には自動車の排ガスによる光化学スモッグが発生し、健康被害が報告されるようになっていた。第二次大戦後の人口の増大と郊外を含む都市域の爆発的な拡大で自動車公害の激化と自動車のコスト(自動者保有に伴う個人的なコストだけでなく、駐車場や道路用地の確保、公害や事故に伴う公的医療費支出など公的コストも含む)の上昇が起こったが、モータリゼーションはむしろ進展し、鉄道は衰退していった。たとえばロサンゼルスでは1920年代には,パシフィック電気鉄道とロサンゼルス電気鉄道の2社が合計で約2,400km の路線を保有・運行していたが1961年には全路線が廃止となっている(中野彩香)(4)。同じことが全米で同時に進行し、アメリカの都市の多くは自動車での移動を前提とした都市となっていった。

これには、自動車会社やタイヤ会社が出資したナショナル・シティ・ラインズ社が全米の鉄道会社を買収し、鉄道を廃止してバスに置き換えていくという自動車産業の戦略的行動も関係していることも指摘されているが、それよりも自動車の普及に伴って自動車専用道路、駐車場、ガススタンド、車での利用を前提とした商業施設など社会の基盤(インフラストラクチャー)が社会生活を営む上で不可欠のものとして人々の生活の中に組み込まれたこと(アメリカ的生活様式)、自動車産業、石油産業が巨大な雇用を生みだすようになったことが大きい。一度技術システムが社会に緊密に組み込まれ、産業となってそこに多くの人々が利害関係者(被雇用者、消費者等)としてかかわるようになれば、そのシステムに欠点があったとしても、欠点とスイッチングコストとの見合いで、別の技術システムへの乗り換えが困難になる。この段階までくると社会と技術システムの関係がいわば逆転する。技術システムが社会にとっての所与となり、技術システムを前提として社会が動くようになる。たとえば渋滞とそれに伴う道路周辺の大気汚染が問題となったとしたら、自動車を代替するような交通体系を創出するのではなく、フリーウェイ(自動車専用道路)を建設するなど、欠点の是正のために技術システムをさらに巨大化・複雑化させて、より社会の中に深く組み込もうとするのである。

さらには技術システムを基盤とする巨大な利権複合体が形成されるため、技術システムの維持・強化・普及のための制度的仕掛けが用意される場合も多い。たとえば原発の場合、立地を促進するための電源立地地域対策交付金原発の費用がかさめばかさむほど利益が大きくなる総括原価方式(電気供給のためにかかるすべての費用を「総括原価」とし、そこに事業資産の3%を上乗せして電気料金を決める制度)といった制度的仕掛けと電力の地域独占がセットとなって原発立地に電気料収入が計画的に注ぎ込まれてきた。これがもうけを多くしたい電力会社、初期コストの高い原発に電力会社が尻込みしないよう、収入保障をしたい通産省(現経産省)、原発ニーズを生みだしたい日立などの巨大重電企業の三方良しの関係、強力なトライアングルの基盤を生み、日本が世界有数の原発大国となってきたのである。

もっともこれは、やや逆説的なもの言いになるが、制度の力を示すものであるともいえる。逆回しの制度、たとえば、自民党政権ではありそうにないが、年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)がESG投資(環境・社会・企業統治に配慮している企業を重視・選別して行なう投資)の基準の中に原発リスクを取り入れ、また廃炉を特別損失ではなく、むしろ原発リスクを削減するポジティブな要素とみなすように決算の体系を変更すれば、一気に潮目を変えることになり、その瞬間から電力会社は競って廃炉に走り出すだろう。

話をもどそう。ここに述べたような悪しきロックインを回避するには、前節の最後にも述べたように技術システムが社会に実装される上流部、社会による科学技術の選択の段階こそが重要である。この段階で実装について、それが何を社会にもたらすのかについて慎重に検討することが必要とされる。しかしこの段階での予想が実装の結果をすべて見通すなどということはありそうにない。だからこそ悪しきロックイン(むろん立場によって「悪しき」なのかどうかは異なる)を回避するために前章で述べた「耳を澄ませ、そっと行う」(事前警戒原則と順応的管理)こと、直接の利害関係者とはみなせない立場の人も含め、すべての市民に開かれた議論の場を設定し、最初の方向付け自体から公開の場で議論していくことが重要である。

早い段階での対抗技術(オルタナティブ・テクノロジー、代替技術と呼ぶのが一般的であるが、代替という日本語には、すでにあるものを置き換えるというニュアンスがあり、複数の技術システムの初期段階からの検討という意味をこめてこの言葉を使う)の検討も重要である。選択肢が一つしか提示されなければその道を行くしかない。

そして実装が進んでしまい、悪しきロックインが社会をとらえてしまった場合は、思い切った方向転換、「科学の社会化」の章で述べた「山を下りる」ことも必要になる。技術システムの前提でもあり結果でもある社会システム自体の見直しも求められるだろう。原発を見直そうとすれば電力の大量消費とそれに応じてきた電力の中央集権システムを見直すことが必要になる。農薬と化学肥料に頼る栽培技術体系を見直そうとすれば、均一な品質・外見の農作物を大量に必要とする食糧市場システムを見直すことが必要になる。部分的な手直しではなく、価値観にかかわる部分も含めた社会の再編成が求められるのである。

(1)城山英明(2018):科学技術と政治、ミネルヴァ書房

(2)安岡孝一(2005):Qwerty配列再考、情報管理、48巻2号、115-118

(3)村田徳治(2001):化学はなぜ環境を汚染するのか、環境コミュニケーションズ

(4)中野彩香(2009):カリフォルニア高速鉄道建設計画の展望 ─背景の環境問題と自動車産業の動きを中心に─ 運輸と経済 69巻3号, 77-85

市民参画の根拠ー科学技術の政治化― 選択のダイナミクス

前節で科学技術が民主的統制の外側にはみ出していく、つまり脱政治化していくことを取り上げたが、では政治とは何だろうか、様々な定義があろうが、ここでは「学術会議政治学委員会政治学分野の参照基準検討分科会」の大学教育に関する報告(1)中の「政治現象とは、人間集団がその存続・ 運営のために、集団全体に関わることについて決定し、決定事項を実施する活動を指す」とひとまず考えておこう。つまり政治とは人間集団が何らかの意思決定を行い、その決定を実施していく過程と解される。そして同報告に「現代の政治学は、このように多様化し複雑化する状況を踏まえつつ、それにもかかわらず、人間集団が自らに関わる意思決定を人為的に行いうるという側面に注目し、意思決定の背後にある対立構造や、決定をもたらす権力などの分析を通じて、社会的な秩序を解明する総合的な学問である。」とも記されているように、政治とは何か必然的な論理に動かされて「これしかない」と決定するのではなく、様々な可能性の中から人間集団がある道を選び取っていく過程である。

政治をこの意味で考えると、科学技術が選択の可能性を拓くのではなく、「これしかない」という唯一の選択に収束する場合、科学技術は政治の対極に立つものになると考えられる。こういう側面が科学技術にあることは否定できない。線形計画法でコスト最小の輸送計画を決定する場合のように、一定の条件の枠内で解が一意的に決まることはありうることであり、科学技術の力をまざまざと実感するのはまさにこういう場面であろう。

しかし科学技術が社会に実装されてきた歴史を振り返ると、このような科学技術固有の論理のみによって実装が行われてきたわけではないことに気づく。科学技術が社会に技術システムとして実装される場面では、その時々の政治的経済的権力や産業構造、つまり社会が、いくつかある選択肢の中から特定の技術システムを選択し、選択された技術システムが逆に社会を規定し、あるいは社会からの技術システムへの要求がその上流の科学・工学への資源配分を決めていくというように、科学技術と社会の複雑な相互作用が見られるのが普通である。そして、選択された技術システムはそれが根付いていく過程で、社会のあり様を決め、ありえたはずの別の選択肢への可能性を閉ざしていく。まるで必然的な発展のように見える現代社会とそれを支える技術システムの歴史は、実はこのような、あるものが選択され、べつのものがその可能性を閉ざされていくというダイナミックな過程(このような過程を吉沢剛らは「選択のダイナミクス」と呼んでいる(2))である。

しかしこの過程の下流部、技術システムが社会に根付いた段階(技術システムが社会にロックインされた段階)では選択肢は限定されざるを得ない。過程の上流部、社会による科学技術の選択の段階、いくつもの異なった方向へ進む可能性が残されている段階こそ「人間集団が自らに関わる意思決定を人為的に行いうる」政治の領域であり、市民参加、市民による科学技術統治が戦略的に要請されるのは、まさにこの段階である。

少し細かい話になるが、次にロックインの例を見てみよう。

(1)学術会議政治学委員会政治学分野の参照基準検討分科会(2014):大学教育の分野別質保証のための 教育課程編成上の参照基準 政治学分野、

http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-22-h140910.pdf

(2)吉澤剛・中島貴子・本堂毅(2012):科学技術の不定性と社会的意思決定―リスク・不確実性・多義性・無知ー、科学82巻7号、788-795

市民参画の根拠ー科学技術の政治化― サブ政治化する科学技術

まずは科学技術の進歩の不可避性及びその進歩が善をもたらすという信念について考えてみよう。これまで何回か触れているウルリッヒ・ベックは、経済や科学技術が民主的統制の範囲外となり、政治が科学技術やグローバル経済にかかわる諸セクターが生み出すリスクをコントロールできなくなってきている状況、諸セクターが政治のコントロールを離れて半ば自律的に作動することをさす概念としてサブ政治という概念を提示した。その動因は「一つには技術的進歩イコール社会的進歩そのものであると見なされるからである。もう一つには、技術的変化の発展方向とその成果というのは、 技術=経済上の必然性が具体化された避けられないものと見なされるからである」だとしている。現代文明は科学技術の進歩を与件として組み込んでおり、新しい発見・発明は善とみなしており、それが世の中に広まっていくのは必然ということである。善なのだから民主的統制は不要であり、自律的に成長し、拡張していくがゆえに民主的統制が難しいということになる。こうして科学技術は民主主義の外側にはみ出していく。

しかしこれは科学技術や科学技術を担う人々(科学技術の専門家)が外部から何のコントロールも受けないアジール(結界)のような場所に隔離されて自由に発展したりふるまったりするという意味ではない。事実はむしろその逆である。「社会・科学複合体の問題点 国家と資本(産業)の論理による科学技術の公益性の独占―知は奴隷なりー」の節で述べたように、脱政治化され、価値観をめぐる問いから切り離された科学技術は、むしろそれゆえにむき出しの資本主義と国家主義の論理の浸透に無防備になり、資金提供者である産業界や官僚、そして官僚の背後に控える政治家の意向を前提として、いわばこれらのセクターの掌の上で動く存在になってしまう。

これらのセクターは科学技術の専門性を名目に民主的統制、もっと具体的に言えば議会や市民からの「厄介な」批判や意見から科学技術とそれを担う専門家を守る防火帯を敷いてくれるかもしれない。しかしその防火帯の外側で続いている不信の連鎖はいつか荒れ狂う炎となって防火帯を飛び越えて専門家を襲うかもしれない。また、本来、科学技術への批判や意見、たとえば汚染に苦しむ地域の第一次産業の人々、巨大開発に巻き込まれて、住民同士が激しく対立し、関係性が壊れてしまった地域の人々といった多様な人々の声、時に科学技術を指弾することもある多様な声は、「何のために科学技術を研究し、社会に実装していくのか」という深い問いを専門家に喚起し、たとえば四日市公害訴訟の判決、レイチェルカーソンの「沈黙の春」、宇沢弘文の「自動車の社会的費用」に見られる社会への問題提起のように、問いへの応答を通して自明だとおもわれていた概念の再構築を促し、科学技術をむしろ豊かにしてくれるものである。それを防火帯により遮断して届かなくすることにより、専門家は産業や国家の提示する価値観に疑問を抱かずに、天(産業・国家)から降ってくる仕事に専心するようになり、それが社会に何をもたらすかは経営者や政治家が考えることと思うようになる。

第2次大戦時の原爆開発計画に携わり、後に素粒子物理学の業績でノーベル賞を受賞したリチャード・ファインマンの「ご冗談でしょう、ファインマンさん」(2)という著書の中には、原爆開発に成功した研究者たちの一部が手放しで喜んだ情景が描かれている。この研究者たちは目前に現出した巨大な破壊力が自分たちの知性の結晶であるという喜びを感じるとはできても、その破壊力により殺され、恐るべき傷害を負わされていく人々を想像することはできなかったのであろう。その背景には戦争に勝つという至上目的というか錦の御旗がある。上(国家)から与えられた使命が想像力を遮断してしまうのである。このような状態に置かれた科学技術においては。価値をめぐる問いに心を煩わされずにすむ。与えられた目的に向かって目的合理的に前進すればよい。そこに研究費が無制約に投入されるなら、そこはある意味科学の楽園となる。しかし価値をめぐる問いから遮断され、科学の楽園の中で目的合理性のみで突っ走った科学者集団の恐るべき極端な実例をナチスや石井部隊の中国における人体実験という形で我々は知っている。ここまで極端に走らなくても、たとえば新規の化学物質の創出、遺伝子組み替えなど日々行われている科学技術の実践は本来、それが社会や自然に何を呼び起こすかの判断、価値観を問う判断を絶えず科学者・技術者に迫っているはずである。しかし、世の中の多様な声からの遮断、声への応答を政治家・官僚や経営者に投げてしまう心性はこのような判断を行うことを放棄させ、権力や企業の私的利益への奉仕を唯一の価値判断の基準へと斉一化させる。ここから石井部隊やナチスの所業との距離は意外に近いのである。

多様な声を遮断し、資本や国家の要求に従うことは、短期的には科学技術への投資を呼び込むことになるかもしれないが、科学技術の発展を制約する可能性もある。経済産業省が牛耳る原子力に偏したエネルギー研究投資や、高速増殖炉とか熱核融合炉のような一向に進展が見られてこなかった分野を国策事業として優先し、ニュートリノ観測のような世界的業績をあげてきた研究を冷遇してきた総合科学技術会議(現総合科学技術・イノベーション会議,平田光司は「科学技術会議の見解と学者の意見がかみ合っていない。完全に直交しているようだ」(3)と評している)の判断は、脱政治化されたがゆえにむしろ研究が国家や産業の支配に服してしまい、その発展が大きくゆがめられ、制約されてしまった実例であろう。この他、日本やEUにおける遺伝子組み換え作物をめぐる世論に見られるように、科学技術の発展そのものに対する疑念や反発を招き、発展を制約することになる場合もある。

 

(1)ウルリッヒ・ベック(1986):危険社会―新しい近代への道、東廉・伊藤美登里訳、法政大学出版局

(2)リチャード・ファインマン(1986):ご冗談でしょう、ファインマンさん(上)、岩波書店大貫昌子子訳

(3)平田光司(2004):科学における社会リテラシーとは、総合研究大学院大学湘南レクチャー(2003)講義録、3 – 25

市民参画の根拠-科学技術の政治化 社会像の選択

社会像の選択

科学技術は、他の様々な社会経済的要素と組み合わされたシステムとして、さらには何が社会にとって良いことなのかという価値観の選択や社会変革へのビジョンとともに社会に実装される。例を見てみよう。

「リスク社会とその特性」という節で、スチュワート・リチャーズを援用し、「プルトニウムは核爆弾の製造が容易であり、核爆弾に準ずる厳格な管理・警備と情報統制が必要となる。それは警察や軍を含む官僚機構とそれをコントロールする政治に権力を集中させることになるだろう」、「集権化に慎重な官僚や政治家であっても、「テロへの対抗」という論理に誘引され、やがて人権侵害に対してためらわなくなっていく。「怪物と戦うものは、自分もそのため怪物とならないように用心するがよい。そして君が長く深淵をのぞきこむならば、深淵もまた君をのぞき込む」(ニーチェ)のである。」と述べた。経済産業省が構想するように軽水炉原子力発電所)、核燃料再処理工場、高速(増殖)炉の原子力エネルギー体系が確立されれば、一定量さえ集めれば簡単に核爆弾を作れるプルトニウムが日本中を走り回ることになる。必然的に治安機構とその上に立つ政府の力を強大化することになり、国民自身が安全のためにそれを強く要求するだろう。そして一度このような技術と社会の相互強化が確立してしまうと、別の形の社会を想像することすら困難になるだろう。プルトニウムを発電に使うことは単なる発電手法の変更ではない。社会の権力関係を変え、人々の想像力さえ変えるのである。

似たようなことは遺伝子組み換えについても言える。遺伝子組み換え作物にかかわる問題は消費者にとっての安全性、農法や収穫量、農家の手間といった農業の手法といった目に見えやすい問題に限定されない広がりを持っている。遺伝子組み換えへの懸念は、たとえば環境団体のグリーンピースが指摘するように、多国籍企業による農業支配懸念、優良な種子を種とりで選抜してきた農家の権利への侵害、家族農業という生活様式の崩壊というように、農業をめぐる様々な主体とその関係性からなるアクターネットワークとでもいうべきものを根こぎにしかねないという社会経済的側面にも向けられている。食という人間生活の基盤であるものにかかわる各地域の伝統や文化を衰滅させかねないこと、つまり社会のあり方が変わること、そして種子支配が進めば流通や消費を含む農業システム全体がそれに適応してしまい、後戻りできなくなることに危機感が抱かれているのである。

このように、科学技術を考える(より厳密に言えばトランスサイエンス問題にかかわる科学技術)ことは、我々がどんな社会を望むのかということと切り離し得ない。したがって科学技術について何か困ったことが起こったり、その必要性について論争がある際には、自明の前提となっていることが多い「どんな社会がより善い社会なのか」を考え直す必要がある。「ありもしない「価値中立的な科学技術」ではなく、「善い科学技術」(あるいは少なくとも「より悪くない科学技術」)とは何か、「誰にとって善いのか」を探ること」(1)、つまりその科学技術を通してどんな社会を実現しようとしているのか、あるいはどんな社会への可能性を閉ざしているのかを議論しなければならないのである。

民主主義社会においてはすべての市民が、その社会が将来どうあってほしいか、どうあるべきかという社会像の選択に関与する権利と義務を持っている。そして上述のように科学技術は「何が社会にとって良いことなのかという価値観の選択」、社会像の選択に深くかかわっている。この2つを前提とするならば、すべての市民は科学技術に関与する権利・義務を持っていることになるのは必然である。

おそらく、この論理は理屈としては多くの人が認めるところであろう。一方で、現実に科学技術の方向性に市民が影響力を持っているかと言えば、そうは言えないということも、これまた多くの人が認めることであろう。その制度的な原因については「社会・科学複合体の問題点-民主主義の目詰まり」の節で一部を述べたが、ここでは、より構造的というか現代文明の深部に根差す要因から述べていくことにしよう。

(1)平川秀幸(2010):科学は誰のものか―社会の側から問い直す、NHK出版