リスク社会の科学教育―科学を統治する市民を育てるー

このブログは、大学で科学教育を担当している筆者(荻原彰)が、現代の巨大な科学技術を市民が適切に統治するため、科学教育はどうあるべきかを考えていくブログです

社会の科学化 科学の社会化

 

1989年11月9日、東ドイツ政府は東西ベルリン間の国境検問所を開放し、翌日、ベルリンの壁の撤去作業が始まった。この事件を契機にすでにポーランドハンガリーで進みつつあったいわゆる東欧革命が加速し、1990年には全東欧で社会主義政権が消滅した。革命は東欧にとどまることなく、1991年には社会主義国の中核であったソビエト連邦が崩壊した。わずか数年で世界は激変したのである。顧みれば、20世紀は2度の世界大戦、ロシア革命などこのような世界の劇的な変化が立て続けに起こった人類史上、未曽有の世紀であった。

しかしこのような政治上の巨大な変化も20世紀から21世紀にかけて科学技術が人類にもたらした変化に比すると微小なものにすぎない。エリック・ホブズボームは「二〇世紀の第三・四半世紀は石器時代の農業の発明とともに始まった七〇〇〇年、ないし八〇〇〇年の歴史の終わりを記したと主張できるであろう。この時代とともに、人類の圧倒的多数が食糧を育て動物を養って暮らしてきた長い時代が終わったからである。」(1)と述べているが、これは科学技術が農業生産とグローバルな輸送システムにもたらした変革によるものに他ならない。変革は物質的なものにとどまらない。2019年には世界人口の半数以上がウェブに接続しており、辺境の僻村の人々にも数本の指を動かすだけで世界大の情報空間への入出力が可能となっている。スマートフォンを持つということは知的な意味では、世界を手のひらに乗せていることに等しいのである。

社会の隅々まで科学技術が浸透し、社会の中での科学技術セクター(研究者、技術者だけでなく科学技術にかかわる行政機構や企業等の技術戦略にかかわる部門を含む)の比重が大きくなり、科学技術で優位を占めることは国家の意思決定における主要関心事の一つとなっている。いわば社会の科学化が進行しているのである。

 社会に対する科学技術の影響力の増大(科学から社会への作用)は科学技術自体の性格に変化をもたらしている(社会から科学への反作用)。一部の化学工学を例外として、20世紀初頭までの科学は世界への認識を深めることを動機づけとする、いわゆる好奇心駆動型科学であり、技術は科学に基礎づけられたものというよりも、技術者の試行錯誤により開発されるものであった。科学と技術は別々の道を歩んでいたのであり、社会は大学での小規模な科学研究を許容はするが、科学研究の技術的有用性にさしたる期待はしていなかったのである。白熱電球、蓄音機など多数の発明を行い、「メンローパークの魔術師」と讃えられたエジソンが系統的な科学教育を受けていなかったことはそれを象徴するものといえよう。

 しかし、第一次世界大戦での飛行機や毒ガスなどの戦争における科学の「有用性」の実証、1920年代以降のデュポンなど基礎科学の成果を生かした新製品の開発を担う企業内研究所の発展は使命志向型科学という科学の新しい型を生みだした。これを決定的にしたのが第二次世界大戦の際の原子爆弾開発計画(マンハッタン計画)である。これ以後、政府や企業など特定の主体が技術的目的(原爆開発、月着陸など)と期限を定め、科学者・技術者を目的達成のために短期間に大量に動員して目的を達成するプロジェクト型の使命志向型科学が好奇心駆動型科学と並ぶ、あるいは凌駕する科学研究の主流となった。好奇心駆動型研究が重要であることには変わりはないが、好奇心駆動型研究により発見された研究のタネの発展の方向性が社会の側から規定される時代、科学が社会化される時代を迎えたのである。

 このような「科学の社会化、社会の科学化」は、教育にも新たな課題をつきつけている。それはネット・リテラシーを高めるとか、AIに置き換えられないようなキャリア教育をするとかいうような、市民が科学による社会変化に適応できるような教育が要求されているという意味ではない。それも一定程度必要ではあろうが、それ以上に必要なのは、この科学と社会の相互浸透、科学が社会に遍在し、科学と社会が分かちがたく結びついて、いうなれば科学―社会複合体となっている現代という時代を俯瞰的に眺め、科学と社会のあり様とあるべき方向性を考えることのできる観点(切り口)の獲得であろう。少し大げさに言うならば、文明論的視点で現代の科学文明をとらえることといってもよい。

 科学と社会の関係性を俯瞰的にとらえる観点にはさまざまなものがあるが、その代表的なものは社会変革の原動力として科学をとらえる観点である。この考えかたは、古くはフランシス・ベーコンまでさかのぼるが、学問的な定式化を行ったのはヨーゼフ・シュンペーターであろう。シュンペーターは、価格メカニズムにもっぱら注目して経済現象を静態的にとらえていた一般均衡理論を批判し、資本主義社会の中核的発展要因としてイノベーション概念を経済学に持ち込んだ。そしてイノベーションをもたらすもっとも重要な因子の一つとして技術革新をあげた。言うまでもなく技術革新のネタは基礎科学にあり、技術そのものを開発していくのは広い意味での工学である。「我が国を「世界で最もイノベーションに適した国」に変革し、「科学技術イノベーションを通じて Society 5.0 の実現を目指す」」とする政府の総合科学技術会議の答申や「持続可能な科学・技術イノベーション創出能力の育成には、単なる「人材育成」を超えて「初等・中等教育から高等教育と社会人教育」にまで踏み込んだ一貫した教育政策と、科学・技術政策との協働が不可欠である。」とする日本学術会議の提言は、科学に対するシュンペーター以来の考え方の延長線上にあり、これは現代の我々にとってもっともなじみ深い科学と社会の関係形態であろう。

 しかし、この小論の目指す「科学技術を統治する市民を育てる教育」に適合的なのは、現代における科学と社会の関係性のもたらした果実(たとえば医学や公衆衛生学による平均寿命の伸長)を率直に評価しながらも、その問題点を意識し、是正し、市民による科学統治を促す観点である。そのような観点として私がまず注目するのはウルリッヒ・ベックの提示する「リスク社会」という考え方である。そこで、以下ではまずベックの提示したリスク社会という観点で現代社会を眺めてみよう。その後、「リスク社会」とも適宜関連させながら、その他の観点も述べていくこととする。

 

  • エリック・ホブズボーム (1996):20世紀の歴史―極端な時代〈上巻〉、三省堂