リスク社会の科学教育―科学を統治する市民を育てるー

このブログは、大学で科学教育を担当している筆者(荻原彰)が、現代の巨大な科学技術を市民が適切に統治するため、科学教育はどうあるべきかを考えていくブログです

リスク社会とその特性―全体主義の誘惑

 スチュワート・リチャーズは「科学・哲学・社会」の中で、高速核増殖炉が実現した未来を想定し、「巨大増殖炉計画はプルトニウムの頻繁な輸送を必要とするが、それは偶発的事故とテロリストの攻撃という当然の危険を伴うのである。そのために列車と原子炉用地の警戒のために大部隊の憲兵が必要になるであろう。これは原子力と個人的自由との非両立性という恐れをやがて起こすであろう」と述べている(1)。高速増殖炉プルトニウムを増殖する炉である。非常にコントロールが難しく、技術的な理由で頓挫しているが、核燃料の主体を現在のウラン235からウラン238プルトニウム239に転換する核燃料サイクルの中核をなす炉である。仮にこれが社会実装された場合、プルトニウムを積載した車両や船が日本中を走り回ることになるであろう。プルトニウムは核爆弾の製造が容易であり、核爆弾に準ずる厳格な管理・警備と情報統制が必要となる。それは警察や軍を含む官僚機構とそれをコントロールする政治に権力を集中させることになるだろう。テロを防ぐため、現在の中国に見られるような監視社会化が進んだであろうことは想像に難くない。

 市民の権利を制約することに対する反発があるとしても、テロリストが都市中心部で核爆発を起こす危険性を考えれば、そのような大惨事を起こす可能性を最小化するための権利の制約を受け入れざるを得ないだろう。

 注意すべきことは、政治家や官僚が集権化を強引に画策しなくてもこのようなことは起こりうるということである。集権化に慎重な官僚や政治家であっても、「テロへの対抗」という論理に誘引され、やがて人権侵害に対してためらわなくなっていく。「怪物と戦うものは、自分もそのため怪物とならないように用心するがよい。そして君が長く深淵をのぞきこむならば、深淵もまた君をのぞき込む」(2)のである。プルトニウムという物質の持つ性質、それを利用する核燃料サイクルという科学技術体系そのものが権力の再配分の原因となる。集権化をもたらすのである。

科学技術そのものは価値中立であり、その利用がどのような結果をもたらすかということはそれを使う社会の側の問題であるという見解をよく聞く。しかしこの例に見られるように、科学技術はそれが社会に実装された場合、社会を大きく変えてしまう可能性を持っている。社会がある科学技術を選択すれば、その科学技術が社会の方向性を変えていく。社会が科学技術を選択するだけではない。科学技術も社会を選択するのである。にもかかわらず科学技術の価値中立性を言い立てて科学技術と社会をくっきりと2分することは、科学技術の持つ政治的・社会的含意を見えなくする目隠しとして機能してしまう可能性がある。

集権化の行きつく先には全体主義の復活が待っている可能性すら否定できない。原発危機のような非常事態が起これば、それを収拾するために超法規的行動が正当化されることもある。そのような際には、民主的な意思決定やそれを担保する手続きの要件は、しばしば緩和あるいは停止される。「非常事態や秩序・安全の危機への脅威は、統治権力が法規範や道徳を踏み越えて行使される「例外状態」を正当化するための装置として機能してきた」(3)のである。関東大震災後の混乱を受けて公布された「緊急勅令・治安維持ノ為ニスル罰則ニ関スル件」がやがて治安維持法に変わったように「例外状態」が常態化する危険は常に存在する。権力にとって非常事態は危機であると同時に社会統制の好機でもあるのだ。日本のような成熟した民主主義国家でこのような全体主義への道が開かれるということは考えにくいと多くの人がとらえているだろう。しかし2020年2月現在、コロナウイルスによる肺炎の蔓延に備え、行政府に権力を集中させ、国民の人権保障を一時的に停止する緊急事態条項の憲法への導入を求める声が自民党内から出ている。全体主義の復活は必ずしも杞憂ではないと私は考えている。

話を戻そう。この項で言いたかったことは次のことである。

「我々がどのような科学技術を選択していくかということは、どのような社会を作っていくのかということと無縁ではない。むしろ社会体制の選択につながる行為である。破滅的リスクを伴う科学技術の選択は集権的体制を選択するのと同義であり、それは全体主義の復活をもたらす危険をともなう道である」。

 

(1)スチュワート・リチャーズ(1985)、「科学・哲学・社会」:岩坪昭夫訳、紀伊国屋書店

(2)ニーチェ(1970)、「善悪の彼岸」:木場深定訳、岩波文庫

(3)国立環境研究所 、「気候変動問題にかかわる意思決定」、https://www.nies.go.jp/ica-rus/report/version2/index.html