リスク社会の科学教育―科学を統治する市民を育てるー

このブログは、大学で科学教育を担当している筆者(荻原彰)が、現代の巨大な科学技術を市民が適切に統治するため、科学教育はどうあるべきかを考えていくブログです

関与の論理その3 つながりのエンパワメントー社会的・政治的な力量構築を支援する

現代の正義論の基礎を据えた倫理学・政治哲学者のロールズは正義の原則として、すべての人々が自由に対する平等な権利を持つことを第一の原理とし、その権利を前提としたうえで、社会的または経済的な不平等の存在は、それらの不平等がもっとも不遇な立場にある人の利益を最大にすること、その不平等がすべての人に達成の機会が与えられている職務や地位に伴うものであるとことといった条件下でのみ許容されるべきことを第2の原理としている(1)。

ロールズの原理に従うならば、社会的・経済的な格差自体は容認できても、その格差が容認されるのは、たとえば感染症の特効薬を開発した研究者が病の治癒という大きな利益を社会にもたらし、そのことで大きな経済的褒章を与えられる例のように、不遇な立場にある人々に利益が及ぶ場合である。不遇な人々(発言力の大きくない人々)に汚染のようなあからさまな不利益が押し付けられ、一方で社会的または経済的な発言力の大きな人々がその汚染から利益を得るというようなことはあからさまに正義に反することとなる。

しかし現実に起きている事態はこの原則と真逆であることが多い。水俣でも四日市でも公害被害は漁民に集中した。産業廃棄物が運び込まれるのは山間の村や海辺の漁村であって、高級住宅地に産業廃棄物が山積みになることはない。ウランの微粒子を肺の中にため込んで肺がんになるのは、ウラン採掘から高額な収入を得ている鉱山会社の経営者ではなく、経営者に比べ圧倒的な低賃金で生活をしのいでいる鉱山労働者であり、鉱山周辺の住民である。問題は企業にだけあるわけではない。先に見たように水俣病有機水銀説を批判し、チッソを擁護したのは通産省、つまり政府である。企業と権力が一体となって社会的・政治的発言力の弱い人々に公害被害を集中させたのである。ほとんどスキャンダルともいうべきこのような事態が日本やアメリカ、カナダのような民主主義を標榜する国家の国内でも行われてきた。

このような事態が正義と人権を踏みにじっていることは、当の企業や政府に所属する人々が鬼畜のような非人間的な輩であることにより引き起こされているわけではない。先に述べたように個人としては恐るべき事態が起こっている事を憂慮し、責任を感じている人も多かったのである。しかし彼らはそれを認めて指摘するなどの行動を起こすことが自分たちの所属する共同体(組織)の利益を損ね、ひいては自分の地位が脅かされることになるのを恐れて行動することができなかった。このことを非難するのはたやすいが、自己の不利益につながる行動をそれが正義だからという理由で起こすことができる人は限られている。内部告発者を保護する法制は形式的には整備されてきたが、報復的に解雇や降格などの不利益な処分を受けてしまった事例は枚挙に暇がない。既存の企業や行政組織の内部から、それらの組織が引き起こす(可能性のある)不正義をただす動きが起きることが難しければ、外部からの働きかけで是正する以外にない。

では歴史的にそのような働きかけは誰がどのようにして起こしてきたのであろうか。公害とか巨大開発に伴う地域の荒廃とか不正義が発生してきた歴史を顧みればそこには共通のパターンを見て取ることができる。多くの場合、最初、不正義を押し付けられた人々の対応は忍従である。被害を行政や加害企業等に訴えても相手にされない、あるいは多少の代価とひきかえに沈黙する。やがて被害者の間で状況を共有し、連帯して対処しようとする動きがあらわれてくる。しかし被害者は因果関連を究明する専門的スキルを持っていないのが普通である。そこには必ず専門家の支援と啓発が必要となる。それが前節で述べた知のエンパワメント(の一部)である。

しかしそれだけでは十分ではない。水俣では水俣病患者の公式確認の数か月後には熊本大学研究班がチッソの排水が最も疑われるという結論を出していた(1957年)。同年,熊本県食品衛生法を適用することによる水俣湾の魚介類摂取禁止を計画したが、照会を受けた厚生省の回答が、水俣湾の魚介類すべてが有毒化している証拠はないという検証不可能なものであったため、県は適用を断念した。厚生省のこの見解は他の食中毒事例と比較して異例であり,その背景には「法的な禁止措置をとれば、水俣湾の魚介類を汚染している工場排水に当然目が向けられることになるからである」(2)ことが指摘されている。またその当の厚生省も1958年には水俣病の原因はチッソの排水であるという公式見解を示していた。しかし通産省チッソの操業が止まることを恐れ、有機水銀排出を規制対象とすることをみとめなかった。水俣市でも、市税はチッソに依存しており、チッソが操業を停止すれば5万人の市民に影響が出るとして市長がチッソの操業継続(つまり排水継続)を県に要請するなど権力側は一貫してチッソを擁護し、被害者に敵対し続けた。このように水俣チッソの排水によって水俣病が起こることが早くから分かっていたにもかかわらず,有機水銀を含んだ排水は止まることなく,被害は拡大していった.

そこには,4大公害裁判の他地域と比しても企業の影響力が強く,解決に向けた被害者の社会的・政治的な影響力がきわめて微弱であったという事情がある.もちろんこれは被害者の罪ではなく,企業とその企業の責任を糊塗し続けた行政の責任である.しかし水俣病の歴史の初期に被害者が社会的・政治的な力をつけ,市民としての権利を行使することができていたら,水俣の悲劇の規模はずっと小さかったであろうという思いは禁じ得ない.もし有機水銀汚染が東京湾で起こっていたらということを考えてみてほしい、工場排水との因果関連が確定していなくても,その疑いが起こっただけで国、自治体は規制に動いたであろう。権力基盤を脅かすような激烈な社会的・政治的運動が起こったであろうからである。このことは知的エンパワメントの次の段階または並行して市民が社会と政治を動かす力を身につけること,つまり社会的・政治的エンパワメントが必要となることを示している。

社会的・政治的エンパワメントは市民自身の主体性においてなされるべきことは言うまでもない.しかし上にも見た水俣に典型的に見られるように公害とか巨大開発とかの被害者は多くの場合,社会的・政治的な力を持っていない.再び水俣の例でいえば,漁協や水俣病患者家庭互助会はチッソが有毒物質を排出していることは初期のころから良く知っており,交渉や抗議行動を繰り返し行ってきた.しかし,それらは知事や市長らによる調停につながりはしたが,生活苦もあり,わずかな補償,見舞い金で妥協せざるを得なかった.むしろ補償によって有毒物質を排出することを漁民や被害者にみとめさせたのだとすら言える.

事態が動き始めたきっかけは1967年の新潟水俣病被害者による提訴である.新潟では患者発生の報道の2か月後には支援組織が立ち上がり(新潟県民主団体水俣病対策会議),その組織に所属する弁護士の支援の下,裁判が起こされたのだが,そのことが水俣の患者と市民を刺激した.「それが(水俣がそんなときに、)新潟から裁判を出した。熊本の人たちもびっくりしちゃって。自分たちはわずか 30 万円の見舞金で事件落着に同意したけど新潟が立ち上がったと。我々も考えようじゃないかということで、裁判を提起したのが熊本の第一次訴訟」(3),患者と接触した千場弁護士が青年法律家協会の弁護士に呼びかけ,水俣病法律問題研究会を作り、研究会が患者から提訴の依頼を受けて,水俣病訴訟弁護団が結成され,水俣病第一次訴訟が起こされたのである.

弁護団は被害者と密接に連携し,周到な戦略と論理で法廷に臨んだ.たとえば汚悪水論である.弁護団は原因物質の特定とそれが水俣病を起こすことの詳細な因果関係の立証を迫るチッソに対して,「工場排水が被害を与えたこと自体が不法行為であり,詳細な因果関連の立証までは必要ない」とする汚悪水論を展開した.第一次訴訟弁護団長の馬奈木 は,工場長を生け簀に魚を入れた船に乗せ,船を工場排水の流れてくる場所に乗り入れると,生け簀魚がたちまち死んでいく様子を見せて,工場排水は毒だ,と迫る漁民の論理を汚悪水論を典型的に示すエピソードとして紹介している(4)

熊本地裁は厳密な因果関係が立証されない限り企業の責任は問えないというチッソの主張を立ち退け,「被告は、予見の対象を特定の原因物質の生成のみに限定し、その不可予見性の観点に立って被告には何ら注意義務がなかった、と主張するもののようであるが、このような考え方をおしすすめると、環境が汚染破壊され、住民の生命・健康に危害が及んだ段階で初めてその危険性が実証されるわけであり、それまでは危険性のある廃水の放流も許容されざるを得ず、その必然的結果として、住民の生命・健康を侵害することもやむを得ないこととされ、住民をいわば人体実験に供することにもなるから、明らかに不当といわなければならない」(5)と汚悪水論の論理を採用した.

また弁護団は被害者の生活の中に裁判を取り込む戦略を取った.被害者の協力を得て,裁判官を被害者の家一軒一軒に連れて行き,直接被害の実態を見せたのである.こんな例がある.45°の湯を入れた湯呑を裁判官に持つことができるかどうか試してみるよう促す.裁判官は持つどころか持ち上げることすらできない,ところが患者は平気で持ってみせる.疑いようのない神経障害が起きているのである.こんな例もある.患者が入浴しようとベッドから風呂場に歩こうとするが家族が介助してもどうしてもできない,二人でベッドサイドで泣き崩れるのを会社の代理人が「もうやめましょう,こんな残酷なことは」と止めた.しかし「こんな残酷なこと」が毎日繰り返されているのであり,裁判官は人間としてこの残酷な事実を受けとめざるを得ない.映画「MINAMATA」のモデルとなった写真家ユージン・スミスの撮影した胎児性患者の写真も患者の家族と弁護団が相談した結果,スミスに撮影を依頼したものである.(水俣病とは何か ー・馬奈木昭雄弁護士オーラルヒストリー)被害者は弁護団と一体となって勝訴を勝ち取ったのである(4).

企業との対決の場は法廷だけではない.世論も重要な対決の場となる.熊本市に「水俣病患者と水俣病市民会議への無条件かつ徹底的な支援」を目的とした「水俣病を告発する会」が1969年に熊本で結成され,水俣病裁判支援ニュース「告発」という機関紙を通じて全国に水俣病の実態を伝えた.彼らは「金儲けのために人を殺した者は,それ相応のつぐないをせねばならぬ」という「復讐法の倫理」を掲げ,「苦界浄土」を著した石牟礼道子のアイデアにより,被害者の抗議行動に際して黒い「怨」旗や「死民」と書かれたゼッケンを提供した.それは前近代的な,しかしそれだけに強烈に感情に訴えるシンボルであり,社会に水俣で起こっている非道を訴える大きな力があった.熊本告発の機関紙『告発』は最高発行部数 1 万 9,000 部に達し,東京,京都など全国各地に「水俣病を告発する会」が設立され,「共闘した政治的なネットワークとして機能し」た.「告発する会」の戦略は被害者と共に「加害企業や行政との直接交渉によって社会にインパクトを与え,それによって運動への社会的支持を拡大し,その支持を後ろ盾に加害企業や行政を動かそうとするもの」(6)であり,それは見事に功を奏し,政府もチッソもその非を認め,補償など一連の措置を取らざるを得なくなった.水俣病被害者は水俣においては無視され,抑圧される存在であったが,このように世論に注目されることによって,その被害の惨状が全国に憤激と共感を呼び,被害者にある種の文化資本を与え.それがチッソと国への交渉に際して大きな力となっていったのである.

以上,水俣を例に市民の社会的・政治的な力量構築について述べた.市民がその権利を行使するためには,法律等によって権利を与えられているだけでは十分ではない.社会的・政治的な影響力を持たない人々は権利を行使するための資源を持っていないし,権利があることすら知らない場合が多い.その状況を変えるのは,第一義的には市民自身が社会的・政治的な力量を自らの内に構築することではあるが,その力量を構築するためには法曹,医療,メディア等様々な外部の人々とつながり,支援を受けること,その前段として,つながる道をつける支援が提供されることが必要となる.それは「つながりのエンパワメント」とでも呼ぶべきものであり,それが外部者の関与の根拠の一つであると私は考える.

(1)ロールズ(1979):正義論,紀伊国屋書店,矢島欣次・篠塚慎吾・渡部茂

(2)水俣病研究会(1996):水俣病事件資料集-1926-1968,葦書房

(3)坂東克彦(2018):半世紀を振り返ってみえてきたこと,青空財団,http://aozora.or.jp/wp-content/uploads/2019/03/bando.pdf

(4)土肥勲嗣(2021):馬奈木昭雄弁護士オーラル・ヒストリー(3)水俣病とは何か,久留米大学法学,83, 48-86

(5)吉村良一(2000):公害における過失責任・無過失責任、立命館法学2000年3・4号下巻(271・272号)、1703-1734から水俣病訴訟判決を引用

(6)平井京之介(2021): 考証館運動の生成 : 水俣病運動界の変容と相思社,国立民族学博物館研究報告,45(4),575-654