リスク社会の科学教育―科学を統治する市民を育てるー

このブログは、大学で科学教育を担当している筆者(荻原彰)が、現代の巨大な科学技術を市民が適切に統治するため、科学教育はどうあるべきかを考えていくブログです

第3部 科学リテラシーの再構築―科学を統治する市民を育てる 緒言

これまで述べてきたように現在の科学技術と社会の関係は「社会の科学化」.「科学の社会化」というべき状況にある.社会の科学化と科学の社会化は密接な関係を持ちながら進行し,科学技術と社会が分かちがたく結びついて「科学―社会複合体」を形成している.トランスサイエンスの領域が拡大しているのである.その中で科学技術が民主的統制を離れ、政治が科学技術やグローバル経済にかかわる諸セクターが生み出すリスクをコントロールできなくなってきている状況、諸セクターが政治のコントロールを離れて半ば自律的に作動するサブ政治化が進行している.「民主主義の目詰まり」である.「民主主義の目詰まり」を解消するために,科学技術は市民との関係性を組みなおし,欠如モデルから対話と関与のモデルへの転換を迫られている.ではこのことが教育へどのような含意を持ち,教育はどのようにこの状況に対応していけばよいのだろうか.

筆者は科学教育(初等中等教育で言えば理科教育)でほとんど等閑視されてきたこの問題に向き合い,むしろこの問題の解決を科学教育の中心的な使命とすることが必要だと考えている.後で述べるように現在の科学教育は,普通教育と言われている義務教育,高校の普通科教育も含め,その中心的使命が科学技術の専門家養成となっており,普通教育は専門家教育のための予備教育となっている.むろん普通教育としての科学教育の理念が存在していないわけではないが,実態的には,普通教育は科学技術の専門家養成に向け,科学技術に適性を持つ候補者を絞り込むプロセス,もっと有体に言えば理科・数学が得意な生徒を理系に囲い込み,それ以外の生徒を文系に分類して進路を切り分けていくプロセスとなっている.これでは教育が「民主主義の目詰まり」のいわば培養基となっていると言わざるを得ない.

この状態を改革し,科学教育を本来の意味での市民教育,具体的に言えば,専門家と共に科学技術の発展の方向性を考え,科学技術政策に関する意思決定を行い,市民自身も政策執行のアクターとなるための教育を科学教育の中核にすえることが必要と筆者は考えている.科学技術の専門家となるための教育あるいは科学技術の専門家への教育(現職教育)はこの市民教育の基礎の上に構築されるべきである.比喩的に言えば現在の教育は科学技術の専門家養成が幹であり,市民教育はそこから分かれていく枝である.この関係を転換し,市民教育を幹とし,専門家教育を枝とするのである.このようなコンセプトの転換は専門家教育にも変容を要求することになる.市民と協働し,市民を支えることを専門家の重要な使命と考える志向性を教育の目的として明示することが求められる.

以上の前提に立って以下では科学教育(主に初等中等教育)の現状と筆者の考える科学教育改革の方向性を考えてみたい.

なお科学教育は科学技術教育として工学を含める方が本書の趣旨には適当であるが、やや語が長く、技術教育も含めて科学教育と呼ばれることもあるので、ここでは科学教育と呼んでいる。