リスク社会の科学教育―科学を統治する市民を育てるー

このブログは、大学で科学教育を担当している筆者(荻原彰)が、現代の巨大な科学技術を市民が適切に統治するため、科学教育はどうあるべきかを考えていくブログです

言説の進化史

 再三述べているように学校の科学教育の基本は「確立された科学」を教えることにある。典型的なのは実験場面である。実験の結果、どのような現象が起こるかを教師は知っており、児童生徒も大体わかっている。予想された結果が出ない、たとえばばねの伸びが力に比例しなかったり、染色した細胞の中に棒状の染色体が観察できなければ実験は「失敗」である。因果は明快で、予想される実験結果にならないような影響を与える要素は極力排除される。このこと自体は学習者に混乱を与えないような配慮であり、合理的なものであるが、トランスサイエンス問題に当てはめることができないことは明らかであろう。トランスサイエンス問題の場合はそもそも学校理科で提示されるような統一された科学的知見が確立されておらず、専門家の見解が多様であることが多い。BSE狂牛病)に対するイギリスの初期対応の失敗が示すように、専門家の多くが合意したことであっても誤っている場合もある。科学の結論は暫定的で新しい有力な知見がでてくればひっくり返ってしまうのである。

さらにそれを意思決定に利用する場合には、価値観や有期性の問題が絡んでくる。原子力災害の生起確率とそれがもたらす損害についての認識がまったく同じ人が2人いたとしても、そのリスクを受け入れられないものと考えるのか、許容できると考えるのかは判断する人の価値観によって異なってくる可能性がある。また藤垣裕子の言うように「公共的意思決定の特性は、科学者でさえ、答えを出せないところで意思決定しなくてはならないこと」(1)であり、専門家の中で答えが収束するのを待たずに意思決定を行わなければならない場合も多い(意思決定の有期性・・意思決定に期限があること)。

このような問題は教育の場でどう扱えばよいのだろうか。私はトランスサイエンス問題をめぐる言説の進化史に注目することが一つの方法であると考える。ここで言う言説とは科学そのものではなく、科学的知見(典型的には論文)とそれを政策に翻訳したもの、いわば科学政策複合体(たとえば「新型コロナウイルス感染症飛沫感染する」が科学的知見であり、それを政策に翻訳したものが「公共交通機関でのマスクの着用を義務付ける」)である。また進化とは正しい方向に変化していくという意味ではなく、特定の言説が発生し、他の言説との競争を経て変化し、主流化したり、消滅したりという変化のプロセスをさす。

近年の、というよりも現在進行中のトランスサイエンス問題である新型コロナウイルス感染症に例をとってみる。2022年夏というこの章を書いている時点で振り返るならば、ワクチンの3回接種、PCR検査、国民の予防行動によって感染状況は落ち着きつつあるが、最初の感染爆発以降、「新型コロナの蔓延を防ぐために何が有効なのか」「政府は何をすべきか(すべきだったか)」、「専門家の助言は適切なのか(適切だったのか)」、「専門家と政府の関係は適切か(適切だったか)」、といったことについて様々な言説が生産された。たとえば学校の休校についての政府発信の言説を見てみよう。

2020年2月27日の安倍首相の要請で始まった全国一斉休校は最長で約3カ月に及んだ。安倍首相は新型コロナウイルス感染症対策本部会議で「感染の流行を早期に終息させるためには、患者クラスターが次のクラスターを生み出すことを防止することが極めて重要であり、徹底した対策を講じるべきと考えております。」「各地域において、子どもたちへの感染拡大を防止する努力がなされていますが、ここ1、2週間が極めて重要な時期であります」(2)と述べ、また翌々日の29日の記者会見で「これから1、2週間が、急速な拡大に進むか、終息できるかの瀬戸際となる。こうした専門家の皆さんの意見を踏まえれば、今からの2週間程度、国内の感染拡大を防止するため、あらゆる手を尽くすべきである。そのように判断いたしました。」と発言している(3)。感染拡大を抑え込むことができるかどうかという臨界期が来ており、感染クラスター発生を抑止する効果的手法が全国一斉休校であるという首相の考えが読み取れる。

首相判断を受けた2月28日の荻生田文科大臣の会見でも「今、この状況の中ですね、今までは感染ルートが一定程度把握ができる発症者でしたけれど、もはやそういった、なぜその地域から発生したのかが分からない感染患者さんが、罹患される方が見えてきました。万が一、今は誰一人発症者がいない自治体であっても、学校の中から、お子様が、こういう事態が起これば、一瞬にしてクラスター化をするという危険を考えるとですね、これはもう直ちに対応することのほうが先だということで、各自治体の通達の時間、すなわち今日の一日を残して、昨日の総理の発表ということになりました。」とクラスター発生の抑止のために一斉休校が必要であるとの論理が展開されている(4)。

しかし実際には文科省は大臣も含め、保護者が働けなくなる家庭がある、昼食を食べられなくなる児童生徒が生じる、保護者が仕事を休まざるを得なくなり、保護者への経済対策が必要となるといった理由で全国一斉休校には慎重な姿勢であった。この時点で文科省の本音と建前に乖離が生じている。(5)

さらに3月に入って、全国一斉休校というドラスチックな手法は専門家の議を経ていないものであることが国会答弁を通じて明らかになり(6)、政府の見解の正当性に疑念が生じる(この場合の正当性というのは正しいという意味ではなく、科学的知見に裏づけられた政治的決定であるという意味である)。

4月16日の専門家会議において、文科省は「文部科学省は、各地域において感染が拡大していることから、5月6日までの間、 学校を一斉休業することが望ましいという専門家会議の見解を踏まえ、『新型コロナウイルス感染症に対応した臨時休業の実施に関するガイドライン』等を活用し、これに向けた取り組みを進めることとする。」という「基本的対処方針修正意見」を提出するが、会議ではそのようなことを決めてはいないという異論、「もう二度と学校の一斉休業はやらないという意欲でやっていかなければいけないことで、ただ、閉めなければいけない学校が出てくる。この地域だけ、この地域限定、この権限でというふうに閉めなければいけない」のように一斉休校に真っ向から反対する意見が出され、それに直面した西村担当大臣は「学校がクラスターになっているわけではありませんけれども」と認めたうえで「率直に申し上げて文科大臣との話の中では、あるところは開いて、あるところは開かないというのが、要はあそこの学校は開いてずっと勉強しているのに、この地域は学校 が開かずに、家にずっといる。それより、むしろやるのであれば全校を一斉に休校にするのも一つの考えだということの話もあって」と、科学的根拠ではなく、地域ごとに対応が異なることが問題だという弁明を行っている(7)。この時点で保育園での感染が数件確認されており、また当然ではあるが、そもそも接触しなければ感染は起こらないので、科学的根拠が全く失われたわけではないにせよ、科学的知見にもとづいた判断というよりも行政の公平性の確保という論理が前面に出ていることがわかる。

新型コロナ流行抑止への学校閉鎖の有効性については早い時期から多くの研究が行われ、それらをまとめて系統的レビューを行った論文(2020年4月)では、休校が他の感染予防措置と比べて効果は少なく、死亡者の減少は2~4%に留まることが指摘されている(8)。休校により子どもを養育している医療従事者が就業困難となると、医療資源が失われ、死亡者をむしろ増加させてしまう可能性すら、やはり2020年4月の論文で指摘されている(9)。上述の文科省の憂慮にもあるように、休校が与える社会的インパクトが極めて大きく、子どもの心身に与える影響も大きいことは自明であることを考えると、4月以降も休校を継続する科学的根拠は失われていったと考えざるを得ない。

5月末以降、学校は段階的に再開していった。それ以後、オミクロン株への置き換わりによりウイルスの感染能力はむしろ高まってきたにもかかわらず、国や都道府県レベルの一斉休校は行われなくなった。それどころか文科省は地域一斉休校に対しても「地域一斉の臨時休業については、学びの保障や子供たちの心身への影響、また、子供を持つ医療従事者が仕事を休まざるを得なくなることなどの観点も考慮する必要があると考えます。そのため、真に必要な場合に限定し、慎重に判断すべきと考えます」(10)と慎重な姿勢に転換した。この会見では、学びの保障や子供たちの心身への影響、子供をもつ医療従事者が仕事を休まざるを得なくなることがその理由として挙げられている。しかしこれらは当初から懸念されていたことであり、だからこそ文科省事務方も大臣も一斉休校には反対であったと伝えられている。政策がほぼ真逆に転換していったことの説明にはなっていないのである。上に述べたように文科省が姑息とさえいえるような方法で休校を正当化しようとしていたことから考えると、全国一斉休校については首相判断を擁護し、首相の面子をつぶさないように配慮しながらも、バトンが文科省に返ってくると、実質的に首相が発した言説をくつがえし、もともとの方針であった慎重対処に回帰したのであろうと思われる。もちろんこの背景には、上述のような医学研究の知見の登場とそれを論拠とした一斉休校批判、専門家会議の議論、休校がもたらした学習の遅れなどの社会的インパクトの克明な報道といった逆風があったことは間違いない。

一斉休校は新型コロナとそれに対する政策対応という巨大な問題の一側面に過ぎないが、それでも国の政策にかかわる言説がこのように変遷してきていることは読み取れるだろう。  

なおこの事例は言説の変化する直近の事例として取り上げているのであって、教育の場でこの事例を取り上げることを主張したいわけではない。また念のため言い添えると、私は2020年2月27日の安倍首相の全国一斉休校要請を批判するつもりはない。日本医師会は、26日に地域ぐるみの休校や春休みの一部前倒しの措置の検討を提言しており、同じく26日、北海道では公立小中学校の休校措置を決めている。専門家会議の議を経ていないにせよ、この機をとらえて学校経由のクラスター発生を抑え込み、国民の危機意識を喚起して流行拡大を抑止するという判断はありうる。実際2月の国会演説で首相は「きわめて切迫した時間的制約の中で、最後は政治が全責任を持って判断すべきものと考えた」と強調していた(6)。しかしその後の政府の対応は評価できない。明らかに首相への忖度がみられ、4月以降の漫然とした休校延長につながっている。

トランスサイエンス問題を教育の場で取り上げる場合、原発にしろ気候変動にしろ現段階での科学的知見と社会状況、政策が提示され、意見の分かれる問題は両論併記で「現段階ではこんな対立意見があります」と示されることが多い。しかしこのような手法は問題を静態的なものに見せてしまうのではないかと私は考える。科学的知見が更新され、それに応じて政策が変化することや、多様な政策オプションの中から特定のものを選んでいく政治の責任といったトランスサイエンス問題のダイナミズムに目がいかなくなる弊害があると思うのである。たとえるなら動画の一場面をスクリーンショットで切り取ると、どのようなストーリー展開の中にその場面があるのかということに気が回らなくなってしまうということである。

上の新型コロナの事例でも分かるように、実際には、問題にかかわる言説は、他の言説との相互作用や言説の根拠となる科学的知見の更新、社会情勢の変化の影響を受けて変容し、主流化(政策化)したり消滅したりする、いわば進化的なふるまいをするものである。

また言説を政策化する場合、主要な科学的知見(たとえば権威ある学術誌に掲載された査読付き論文)に全く反するような政策をとることは困難という意味で、取りえる政策選択の幅を科学が提供することはできるが、政策選択そのものは、政治がある時点で、限られた時間の中で、科学的知見、社会の状況、ときには党派や指導者の政治的立場をあれこれ考えを巡らせながら、その責任において行い、その正当化を行う言説を発信するのである。このような実態をフォローしないとトランスサイエンス問題を真に理解したことにはならない。

以上のことからあるトランスサイエンス問題を教育の場で取り上げる手法として、冒頭に述べた「言説の進化史」を提案したい。現在の時点に視点を固定するのではなく、すでに廃棄されてしまった言説も含め、あるトランスサイエンス問題についてだれがどのような言説を発信したのか、論争等の言説間の相互作用はどのように行われたのか、科学的知見の更新や社会状況の変化によって新たに生まれたり消えていった言説は何か、政策化された言説は何かということを整理し、なぜその言説を政治が選択したのかを考えるのである。ある時点での政策選択を、その時点で政治家や行政官が知りえた情報をもとに仮想的に行い、その結果社会がどう変わるのか考えるところまで行ければさらによい。そのような経験は政策(意思決定)の有期性と科学の暫定性を意識するきっかけになるだろう。

ある程度後知恵が入ってしまうことは避けられないが、このようなことを通じて科学技術と政治、科学技術と社会の関係を動態的なものとして理解できる。動画を動画としてとらえることができると私は考えている。

(1)藤垣裕子(2003):専門知と公共性 科学技術社会論の構築へ向けて、東京大学出版会

(2)首相官邸(2020):令和2年2月2月27日新型コロナウイルス感染症対策本部(第15回)、https://www.kantei.go.jp/jp/98_abe/actions/202002/27corona.html

(3)首相官邸(2020):令和2年2月2月29日安倍総理大臣記者会見、https://www.kantei.go.jp/jp/98_abe/statement/2020/0229kaiken.html

(4)文部科学省(2020):萩生田光一文部科学大臣臨時記者会見録(令和2年2月28日)

https://www.mext.go.jp/b_menu/daijin/detail/mext_00039.html

(5)松本一紗(2021):新型コロナウイルス感染症(COVID-19)拡大下における一斉休校要請の教育政策過程の特質と課題 : キングダンの「政策の窓」モデルを使った分析を通じて、研究論叢、27巻、41-59

(6)衆議院(2020):第201回国会 予算委員会 第18号(令和2年2月28日(金曜日)

https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/001820120200228018.htm

(7)内閣府(2020):新型インフルエンザ等対策有識者会議 基本的対処方針等諮問委員会(第4回)議事録、https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/ful/shimon4_2.pdf

(8)Viner RM, Russell SJ, Croker H, et al(2020): School closure and management practices during coronavirus outbreaks including COVID-19: a rapid systematic review. Lancet Child Adolesc Health. 2020 Apr 6.

(9)Bayham J, Fenichel EP(2020): Impact of school closures for COVID-19 on the US health-care workforce and net mortality: a modelling study. Lancet Public Health. 2020 Apr 3

(10)文科省(2021):萩生田光一文部科学大臣記者会見録(令和3年4月20日https://www.mext.go.jp/b_menu/daijin/detail/mext_00155.html