リスク社会の科学教育―科学を統治する市民を育てるー

このブログは、大学で科学教育を担当している筆者(荻原彰)が、現代の巨大な科学技術を市民が適切に統治するため、科学教育はどうあるべきかを考えていくブログです

疫学の考え方

1850年ごろのロンドンではコレラがしばしば流行し、多くの死者が出ていた。当時はコレラが細菌で引き起こされるということは知られておらず、瘴気(悪い空気)が原因であると考えられていた。ジョン・スノーは当時ロンドンに在住していた医師であるが、飲み水が原因ではないかという疑いを持っていた。折からスノーは1854年ソーホー地区におけるコレラ大流行に遭遇し、住民への聞き取り調査によって特定の井戸(ブロード・ストリートの井戸)の水を飲んだ住民に限定してコレラが発生していることを突き止めた。そして井戸を管理していた教区当局を説得してコレラの発生を収束させることに成功した。スノーはその後も研究を続け,同じ地区に住んでいる人でも給水会社によってコレラ死亡者が大きく異なることを発見し,空気ではなく水がコレラの原因であることをさらに確かなものにした.

スノーは細菌によってコレラが引き起こされることを発見したわけではない。その意味で井戸の水を飲むことによってコレラが発生する理由を説明することはできなかったが、水の中にコレラを発生させる因子があるという因果関係を突き止めることはできた。これが疫学の始まりであると言われている(1)。このように疫学は人間集団で発生する伝染病の頻度や分布の調査の中から、その病気の原因や その予防法を探る学問として出発し、その後、がん、生活習慣病公害病、事故などの様々な有害事象とその原因を研究する学問として発展してきた。その法的な到達点の一つが疫学的因果関係論である.「科学の社会化」の章で一度触れてはあるが,もう一度触れておこう.

イタイイタイ病第一次訴訟第一審判決では,「本病患者が前記のように神通川を中心とし東方の熊野川と西方の井田川に挟まれた扇状地に限局して多発する理由を疫学的見地からみれば、 カドミウムに求めるほかない」と疫学上の因果関係を全面的に認め,カドミウム摂取によってイタイイタイ病が引き起こされる詳細な病理学的根拠を求める被告企業(三井金属)に対して「病理機序が細部にわたってくまなく明確になれば疾患の原因が一

層明白になるとしても、 反対に、 病理横序が不明であるからといって疾患の原因が確定し得ないわけのものではない」とその主張を立ち退けた(2 ).控訴審判決においてはさらに明確に「臨床医学や病理学の側面からの検討のみによっては因果関係の解明が十分達せられない場合においても、疫学を活用していわゆる疫学的因果関係が証明された場合には、法的因果関係が存在するものと解するのが相当である」と疫学的因果関係の証明をもって法的因果関係が成立するものとした(3).イタイイタイ病判決は他の公害病裁判にも影響を与え,たとえば四日市公害訴訟第一次判決では「原告らが磯津地区に居住して、大気汚染に暴露されている等、磯津地区集団のもつ特性をそなえている以上、大気汚染以外の罹患等の因子の影響が強く、大気汚染の有無にかかわらず、罹患または症状増悪をみたであろうと認められるような特段の事情がない限り、大気汚染の影響を認めてよい」と喫煙等様々な原因で起こりうる一般的な疾患である呼吸器疾患のようなものであっても疫学的因果関係を認めるなど疫学的因果関係論の射程が拡大している(3).

一般にトランスサイエンス問題においては,たとえば地球温暖化問題にせよ重金属など有害物質による汚染にせよ,有害事象とその原因についてはかなりはっきりしていても,明確な因果関係はよくわからないことが多い.詳しい分析によって因果関係を解明するまで待っていると人の健康や生命.生態系に回復不能な損害を与える可能性がある,ある物質が致死的なものであるとわかれば,その物質でなぜ死ぬのかということなど考えるよりもまずはそれを避けることを考えるだろう.それと同じで有害事象とその原因との間に疫学的因果関係が推定できる場合には,原因と特定されたものの使用を禁止したり,避けたり,無害化しようとすることが賢明な考え方である.

その意味で市民が疫学の考え方を知っておき,それをトランスサイエンス問題についての議論に利用したり,意思決定に活かすことは望ましいことであり,理科教育や社会科教育に疫学の考えかたを導入することが望まれる.疫学というやや耳慣れない用語を聞くと全く新しい難解なものを勉強しなければいけないにように聞こえるかもしれないが,その手法の多く,たとえばデータの散らばりの表現,データの相関,母集団と標本調査,仮説の検定と有意水準といったものは中学校や高校の数学で必修となっており,新しくもないし,それほど難解でもない.ただ現在の学校教育の枠組みでは,これらの扱いは数学の枠内で汎用的な統計的手法を身に着けるために行われるものであり,因果関係を推論し,それによって意思決定(政策)を導くことが目的ではない.トランスサイエンス問題を扱う場合には事象(その多くは有害事象)とそれをもたらす原因との間の因果関係が問題となるので,統計学というよりは疫学と表現するのが適切と考える.

なお疫学を市民教育の場で扱うのは,上に述べたように統計的手法を身に着けることが目的ではなく,市民が何らかのトランスサイエンス問題に際して意思決定(政策)の支援ツールとして疫学を利用できるようになるのが目的である.したがって統計的手法(ある程度は必要)は最小限度にとどめ,意思決定の教訓となるような事例(公害病等疫学が意思決定の根拠として利用された事例)における疫学の利用を,必要に応じて法的・制度的・倫理的な側面にも触れながら学習するケースメソッドの手法をとるのが良いと考える.

以下では,市民に対する教育の中で扱うことが望ましい内容を,やや断片的になるがいくつか挙げてみたい.

(1)多田羅浩三(2009):現代公衆衛生の思想的基盤,日本公衆衛生雑誌,56(1),1-17

(2)田中嘉之(1972);イタイイタイ病第一次訴訟第一審判決にみる因果関係論(中),一ツ橋論叢,68(4)410-417より判決文を引用した

(3)吉村良一(2019):損害賠償訴訟における疫学の意義 : 水俣病訴訟を例に,末川民事法研究,5,33-53より判決文を引用した.