リスク社会の科学教育―科学を統治する市民を育てるー

このブログは、大学で科学教育を担当している筆者(荻原彰)が、現代の巨大な科学技術を市民が適切に統治するため、科学教育はどうあるべきかを考えていくブログです

教師の役割転換 公共圏のコーディネーターとしての教師の役割とそれを支えるしくみ 4 第二段階 教材作成

第二段階(教材作成) 第一段階で生産的な議論が行われていれば、それ自体が良質な教材となりうる。大学生あるいはある程度トランスサイエンス問題についての学習をすすめてきた高校生には第一段階での議論をネットで中継し、リアルタイムで見せながら議論に参加してもらうようなこと、イメージとしてはNHKで放映されているマイケル・サンデルの「白熱教室」のような経験の機会を提供することも考えられる。しかし予備知識があまりない段階で、第一段階での専門家の議論をそのまま理解せよというのは非現実的であり,また専門家の議論で触れられることがなくても前々節(科学への留保付きの信頼)や前節(科学の方法論)で見た,トランスサイエンス問題の教育で扱うべき論点があるので、補足的な教材の開発が必要となる。それが第2段階である.

教材には3つの役割がある、一つは第一段階での専門家の議論をより分かりやすくリアルなものに再構成することである。例えばシミュレーションである。地球温暖化や自然災害などはThe Climate Trailとか浸水ナビのようなシミュレーターが存在する。シミュレーションとVRやARを組み合わせることで、学習者の居住地域の災害被害や温暖化に伴う生物相の変化をリアルに追体験できるようになるだろう。ロールプレイも有効な方法である。たとえばPLT(Project Learning Tree)という環境教育団体が開発しているFocus on Riskというカリキュラムでは,電気製品の電磁場規制を求める法律が州議会上院で審議されていると仮定し,通常の電磁場がガンなどの有害な影響をもたらす証拠はないとする全米研究評議会,送電線とガンの発生の間に弱い相関が見出されている研究があることに注目し,電磁場規制を行うと同時に研究をさらに進めるべきだと主張する生体電磁気学会,電機製品の電磁場規制を行う法律は不要であり,そのような法律は産業を損ない,職の喪失につながるとする電気製品団体,電磁場規制の法律は公衆,とくに子どもの健康への潜在的な危険を防ぐ意味があるとして電磁場規制に賛成する医師会など様々な立場に生徒を割り振ってそれぞれの立場から上院議員の立場の生徒に公聴会で主張を展開,上院議員が立法の是非を判断するというロールプレイを行っている.このようなロール(役割)の体験は疑似的ではあるが当事者意識を喚起し、情緒的反応も含めて当事者の意思決定を内面から理解する助けになるだろう。

もう一つの役割は、地域性の補足である.地域によって直面するトランスサイエンス問題は異なっている.原子力発電所立地地域ではもっともリアルに感じられるトランスサイエンス問題はやはり原発であろうし,原発も地域ごとにその抱える問題(たとえば事故の際の避難手段,想定される地震の種類や震度,地域経済との関係など)は少しずつ異なっている.この地域性の補足を行うことによって学習者が自分の経験と関連付け,より腑に落ちて理解することができる.従来,地域性の補足は教師が授業準備の一環として行うのが普通であり,そこが教師の腕の見せ所でもあった.しかしこれは手間も知識も必要で簡単に行えることではない.教師の創意を尊重しつつも当該のトランスサイエンス問題の専門家や媒介の専門家,地域をよく知っている地元の人と教師がチームを組んで現場見学や当事者へのインタビューも含め地域性を補足する教材の開発を行うのが望ましい.

第2段階では教材作成と並んでその教材を効果的に利用するための教師教育も行われることが望ましい.教材開発と教師教育は車の両輪であって,優れた教材開発がなされても実施に当たる教師がその意図を理解し,意図に沿った活用をしてくれないと教材の教育効果は期待できない.

教師教育では教材の内容と手法についての説明は当然なされるが,それと並んで重要なのが,「科学技術へのクライアントシップ」の節で取り上げた「科学が知識生産システムとして持っている特性」(可変性・可謬性,多様性・累積的進歩・真理への漸近性,前提の厳密性・前提による議論の拘束,公開性・選択肢の提示・あいまいさの許容,(市民の)エンパワメント・責任・自己決定・自己信頼)である,教師にはこの点に留意して教育実践を行ってもらわねばならないので,どのトランスサイエンス問題を取り上げる場合でも,この「科学が知識生産システムとして持っている特性」を扱っておく必要がある.特に(市民の)エンパワメント・責任・自己決定・自己信頼の項目,トランスサイエンス問題についての社会の方向性は広い意味での政治,つまり市民が決めていくのだということは強調しておく必要がある.

当該のトランスサイエンス問題の理解に必要であっても,専門家どうしの議論の中に取り上げられなかったものについては補足しておく必要があるだろう.たとえば日本の原子力政策はおおむねエネルギー政策の枠内で論じられることが多いが,使用済み核燃料の処理(再処理なのか直接処分なのか)には安全保障政策(核開発)が密接にかかわってくる.AIの脅威を考える際には,AIに職業が代替されていくというような直接的な脅威だけではなく,「意志とは何か」,「身体性とは何か」という根本的でどう取りあつかっていいかわからない哲学的疑問がからんでくることもふれておいたほうがいいだろう.