リスク社会の科学教育―科学を統治する市民を育てるー

このブログは、大学で科学教育を担当している筆者(荻原彰)が、現代の巨大な科学技術を市民が適切に統治するため、科学教育はどうあるべきかを考えていくブログです

できるだけ多様なフレーミングを教室に持ちこむ

ある特定のトランスサイエンス問題は様々な価値観の下で切り取りうる(フレーミング)のであって,その問題の専門家だからといってそのフレーミングが「正しいフレーミング」であるとは必ずしも言えない.すぐ上でも述べたようにどのフレーミングを選択するかは個々の市民が決めるべきことである.しかし決めるためにはその問題についてどのようなフレーミングがありうるかを知らないと決めようがない.たとえば原発原発の話ばかりで恐縮だが,トランスサイエンス問題の典型例なので少ししつこいがまた例として挙げさせていただく)について考えてみよう.発電手法には多数の評価軸がある。環境影響であり、安全性であり、コストであり、安定的な供給であり,国家安全保障である。このような評価軸の設定自体はどのようなフレーミングにも共通することであるが,各評価軸の内部でのフレーミングは論者によって大きく異なっている.たとえば国家安全保障で言えば国際紛争時の日本のエネルギー供給の安定性を重視してエネルギー安全保障の観点から原発を推進すべきとするフレーミングをとる議論が多い(たとえば三菱総合研究所「提言 カーボンニュートラル時代の長期的な原子力利用の在り方」(1))が、ロシア・ウクライナ戦争では原発が軍事的に占拠されたり破壊されることが現実味を帯びてきたことから,原発は紛争の際,むしろ脅威と考えるべきとして,国家安全保障と原発による汚染を関連付けるフレーミングも見られるようになってきた(2).発電コストについても、たとえば廃炉に伴う低レベルの放射性廃棄物をすべて廃棄後の管理を要するとみなす、いわば全量管理のフレーミングを選択するのか、一定のレベル以下の廃棄物は放射線によるリスクが無視できるものとみなす裾切りのフレーミングを選択するのか(現行法ではこのフレーミングを採用している)によって廃炉のコストは全く異なってくる.ちなみに経産省によれば110万kw級の沸騰水型軽水炉では裾切り(クリアランス)を選択することにより廃炉の際に2万8000トンのコンクリートや金属の低レベル放射性廃棄物をリサイクルまたは通常の廃棄物として処分できることになる。これは技術的な問題ではない.放射能を持つ物質はすべて厳格に管理すべしとする価値観と,健康リスクが一定程度以下に抑えられれば,管理するかどうかはコストとの見合いで決めるべきとする価値観が背景に存在している.

 教育の場では、これらの多様なフレーミングをすべてとりあげることはできないが、ひとまずはこのような多様なフレーミングをできるだけ多く収集し、その中から学習者の発達段階や地域性を考慮して学習活動の組み立てを考えていくことが必要となる。ただしこれは原発の利点と欠点を並べたリストを作ってそれを学習するという意味ではない.もちろんこのような学習も大きな意味があるのだが,それよりも,

①同じ評価軸であってもフレーミングのとり方,つまりはその基礎となる論者の価値観によって問題の見え方が異なる

フレーミングとして何を選択するかは,どれかのフレーミングは科学的に正しくてどれかのフレーミングが間違っているというような科学の問題ではなく,価値観の選択の問題である.

③どのフレーミングを自分に親和的なものとして選ぶかは各自の熟考と選択に任されている

以上について知ることの方がむしろ主要な学習内容となる.個々のトランスサイエンス問題はその素材となるのである.

 各種のフレーミングを取り上げる際に,教育者が特定のフレーミングを価値づけて提示することは,学習者の自発的なフレーミングの選択という観点から言って適当ではないが,提示するフレーミングの選択と提示手法については,次に述べるように一定の注意を払うことが必要である.

(1)三菱総合研究所(2022),提言 カーボンニュートラル時代の長期的な原子力利用の在り方,https://www.mri.co.jp/news/press/20221007_2.html

(2)伊方原発運転差止請求事件原告弁護団準備書面(97)(2022): 武力攻撃の対象となる原発の危険性と反公益性,http://www.ikata-tomeru.jp/wp-content/uploads/2022/06/準備書面97武力攻撃の対象となる原発の危険性と反公益性.pdf

(3)経済産業省(2019):廃炉からのゴミをリサイクルできるしくみ「クリアランス制度」 https://www.enecho.meti.go.jp/about/special/johoteikyo/clearance.html