リスク社会の科学教育―科学を統治する市民を育てるー

このブログは、大学で科学教育を担当している筆者(荻原彰)が、現代の巨大な科学技術を市民が適切に統治するため、科学教育はどうあるべきかを考えていくブログです

社会・科学複合体の問題点 責任なき支配その1 ー皆の責任だ だから私の責任ではないー

丸山真男は「軍国支配者の精神形態」の中で、極東軍事裁判における軍幹部、官僚、政治家の証言を分析し、指導者たちが、それぞれのセクターの利害を背景としながら、妥協とあいまいな集団的意思決定を行い、誰一人として責任意識を持たないまま、流れに飲まれるようにして開戦をはじめとする重要事項がなんとなく決定されていく「無責任の体系」を活写している(1)。

日本社会の権力構造を研究したカルフ・ウォルフレンは、1990年(終戦後45年)こんな文章を書いている。「今日もっとも力のあるグループは一部の省庁の高官、政治派閥、それに官僚と結びついた財界人の一群である。」「個々のグループはどれも究極的な責任は負わない。」「ヒエラルキー、あるいは互いに重なり合ういくつかのヒエラルキーの複合体がある。だが頂点がない。いわば先端のないピラミッドだといえる。究極的な政策決定権をもつ最高機関が存在しないのである」(2)、丸山の指摘した、だれも明確な責任を負わないままに、いつの間にか国の形が決められていく、いわば「責任なき支配」は、戦後半世紀が経過してもその本質が何ら変わらないまま存続しているように見える。

もう一つ、今度は原子力についての評論を見てみよう(3)。

 

―甘さの背景にはもたれあい体質がある。電力会社と政府の規制当局者、一部の学者が原発推進の国策の下でむすびあい、現状を追認する。しかもだれかが決定的な判断を下すことは巧妙に避ける。役所は学者に「安全性の判断」をゆだねる 学者は安全のハードルをそこそこの高さにとどめ、基準を超える対応は事業者の自主対応にまかせる。事業者は規制当局のお達しに従ったまでという。外部から無責任にも映る「原子力村」の行動様式だー

 

科学技術政策についてもまったく同じ構造で動いているのがわかる。誰も最後の責任をとらず、明確な責任の意識もないまま利害関係者の「村」の中で物事が決められていく、意思決定はされているが、その意思決定の責任者が存在しないのである。

科学技術がかかわる場合には、このような「責任なき支配」の状況を一層混沌とさせるような事情が存在する。それは、たとえば、ある化学物質が一定の濃度以下では安全だとされ、認可されても、複数の化学物質が関与するいわゆる「複合汚染」が安全かどうかはわからないことが示すように、科学技術が作り出すリスクは複雑な因果関係の網の目を通して人間や環境に影響を与えており、その因果関係を解きほぐすのが容易でないこと、そしてそのような因果関係の見えにくさは、しばしば因果関係がないものとして考えられてしまうことである。科学者は一般に因果関係の推定に対して慎重な態度をとる。因果関係の誤った肯定は科学者個人やその研究への信頼を揺るがしかねないからである。しかし因果の証拠が確定しないことは因果が存在しない証拠とはならない。にもかかわらず前者が後者と(しばしば意図的に)同一視される。誤った肯定を犯すまいとして誤った否定に陥ってしまうのである。そのため汚染者やそれを見逃した行政の責任は先延ばしされ、後で因果関係が確定しても、「その時点での予測はできなかった」として責任は免除されてしまうことになる。

また因果関係の複雑さは関与する関係者の多様化をもたらす。農薬の使用基準を守っているゴルフ場からの農薬で下流の飲料用水源が汚染された(と疑われる)場合、だれが責任を問われるのだろうか。ゴルフ場の経営者か、農薬の製造元や販売店か、使用基準を決めた農水省環境省か、はたまた基準を決めるにあたって専門的知見を提供した研究者なのか、検出が遅れた場合は自治体の環境部局にも責任はあるのか、それとも誰にも責任はなく、水源の使用者は自然災害のように汚染を甘受しなければならないのか、ゴルフ場の経営者に無過失責任を問うことは可能かもしれないが、それ以外の関係者の責任を問うことは難しい。まして官僚機構や企業組織の中に埋め込まれている個人に責任を求めることは至難の業であろう。農薬が汚染源である以上、集団的決定とはいえ、関係者は何らかの責任を持つはずではある。しかしその責任はあまりに分散しすぎており、間接的過ぎて問うことはできないのである。科学技術とその政策における責任についてはこのようなややこしい事情があるため、「責任なき支配」は日本だけの話ではなく、どこの国の科学技術政策にも見られるグローバルな特徴となっている。

責任なき支配には以下のような諸特性がともなっている。

1 想像力の縮滅-見たくないものは見たくないー

 スリーマイルアイランド原発の事故の後 ,日本原子力研究所の中に環境放射能安全委員会が設置された。委員会は原発事故の際に放出される放射性物質の拡散シミュレーターの基本システムを6年間かけて開発(現在のSPEEDIの原型)した。完成後、委員長がこのシステムを使った避難訓練の実施を提案したところ、「そんなことはとんでもない 。出来るはず が無い」「普段から発電所の人達がこの原子炉は絶対に安全だとそう言ってやっとのことで ,ここで稼働している。もしここで事故があったと,たとえ演習にしてもそこで事故が あったということを言ったならば,大変なパニックになってしまって ,もう原子力発電は してほしくないということになる。ただでさえ反対運動があるくらいだから,そんなことを やれるはずが無い」と拒否されたという(4)。封建時代の「民は由らしむべし、知らしむべからず」(民は依存させればよいのであって、その理由を知らせる必要はない)を彷彿とさせるエピソードである。これは原発関係者の警戒心、原発関係者だけで固まって他の人々を寄せ付けない閉鎖性を如実に表すエピソードだが、同種のことは対市民だけにとどまっていない。地震学者の石橋克彦が地震時の原発炉心溶融事故の危険性を論文で提起したとき、原発関連の研究者は「原子力学会では聞いたことのない人」と評したり、「石橋論文は保健物理学会放射線影響学会、原子力学会でとりあげられたことはない」などと発言したりしていたという(5)。金属学者の伊野博満が中性子による原子炉圧力容器材料の脆化する温度の上昇予測の根拠となる反応速度式に誤りがあるのを発見し、指摘したところ、式を求めた論文の著者自身が誤りがあったことを認めているのにもかかわらず、原子力安全保安院の見解は、特段の根拠も示さず、「脆化予測式の内部構成にかかわらず、直ちに規制の見直しの必要はないものと考えます」、「さらに議論を行う必要はないものと考えます」というものであったという(6)。

地震により起こる現象で地震学者が非専門家であるはずがない。また井野の指摘について言えば、脆性破壊は低温下で金属が粘りを失って小さな力で破壊されることを指し、脆化温度の上昇は圧力容器の破壊につながる危険性を秘めている。このような重大な指摘を受けているにもかかわらず対応しようとしない保安院に対して、井野は「監視試験の規定に不備があることをすんなり認めるわけにはいかないという自らの立場や、身内の学者のミスをかばうことの方が、原発をきちっと管理することよりも大事であるようだ」と痛烈に批判している(6)。

最初に挙げたエピソードと同じく、原子力の利権共同体(いわゆる原子力村)以外の人々の意見を脅威と考え、躍起になって排除しようとする閉鎖性の表れであろうが、私にはそれだけとは思われない。脆性破壊が大きな規模で起これば、原子炉の炉心がむき出しになる。それがいかに恐るべきことであるかは原発の関係者ならば皆理解しているはずである。その基礎となる式が誤っていることが指摘されたのだから、誰よりも原発関係者がそれを深刻に受け止め、正しい基礎の上に原発を再設計しようとするはずである。原発を推進するためもそれこそが合理的対応であろう。にもかかわらずそれを拒否するのは、単に仲間内のかばい合いという矮小なことにとどまらないように思われるのである。ここにはもっと根本的な問題がある、つまり放置しておくことがもたらすかもしれない事態の深刻さを直視する想像力がそもそも欠けていて、あるいは共同体の中で生きていくためにそれを抑圧して「見たくないものは見たくない」→「見たくないものは存在しない」ということになってしまっているのではないだろうか。実はこの想像力こそが専門家に求められる重要な任務であるにもかかわらずである。だから目の前で誤りを指摘されているそのことをどう収拾するかということだけにこだわってしまうのである。

 このような想像力の欠如が大きな悲劇をもたらした事例として水俣病をあげることができる。

周知のように水俣病は新日本窒素(後のチッソ、以下新日窒と略)水俣工場の排水中の有機水銀によって引き起こされた有機水銀中毒で、1956年5月に患者の発生が公式に確認されている。その年の11月には熊本大学研究班が、原因は重金属の中毒であり、汚染源として新日窒の排水が最も疑われるという結論を出し、1958年6月には参議院社会労働委員会で厚生省環境衛生部長が水俣病の原因は新日窒の排水であるという公式見解を示し、1959年7月には熊本大学研究班が有機水銀が原因と発表している。この時点で、厚生省や熊本大学の見解をうけて新日窒が排水から重金属を取り除く措置をとっていたら、すでに患者は出ていたものの、水俣病はあれほどの悲劇には至らなかったであろう。しかし新日窒は、科学的証明がなされていないとして熊本大学研究班や厚生省の見解を否定し続け、有機水銀除去にはほとんど効果がないと試運転時にすでにわかっていたサイクレーター設置と排水口の付け替えを行ったのみで、排水を出し続けた。サイクレーターが有機水銀を除去する効果がないことは ,新日窒は認識していたにもかかわらず、このようないわば詐欺的な措置しか取ろうとしなかった 。企業を指導する権限がある通産省も新日窒を擁護する態度をとり続けた。新日窒が独占的なシェアを占めていたオクタノールがプラスチックの加工に不可欠であり、新日窒の工場が止まることによる化学工業への打撃を恐れていたからである。省内部では操業停止になることを避けるよう大臣官房から経済企画庁水質課に出向していた課長補佐に指示を出し、また厚生省からの新日窒への指導要請を「原因は不明」として拒否し、各省庁連絡会議の席上で、有機水銀説を批判する研究者の小冊子を配布し,有機水銀説を否定した(連絡会議で異論が出ると政府として動けない)。池田通産相閣議有機水銀水俣工場から流出しているというのは早計である旨の発言を行っている(7)。結局、有機水銀を排出しない完全循環が実施されたのは1966年、国が有機水銀を規制対象としたのは1969年と熊本大学の発表から10年が経過していた。

 水俣病は恐るべき病である。田中静子という5歳の少女は、ご飯をこぼしたり、皿を落としたりすることから始まって、やがて歩けなくなり、しゃべれなくなり、目が見えなくなり、入院したが「ずっと目も見えないままで、ものも言えないし、手も足も曲がってしまって、身体もエビが曲がったようにしとったんです。そして昼も夜もずっと泣いて泣き続けて亡くなったんです。話せば淡々としてしまうんですけど、静子は本当に苦しんで苦しんで死んだんです」(静子の姉の話)。佐々木清登の父は症状が悪化して入院後、手も足も宙に突きあげてゴウゴウゴウと声を上げて苦しみ、その状態で苦しみ続け、口から泡を吹いて亡くなったという(8)。

 新日窒や通産省で働いていた人々は水俣病に対する自分(自分たちではなく)の責任をどう考えていたのだろうか。漁協の抗議や熊本大学有機水銀説、さらには国の機関である厚生省すら名指しで新日窒の工場排水が原因となっているとしている中で何らかの責任は感じていただろう。そのことは水俣病対策市民会議など様々な集会での元従業員の発言や新日窒労働組合の「水俣病を自らの問題として取り組んでこなかったことを恥とする」という恥宣言、国と患者の和解交渉で国側の責任者を務め「水俣の仕事はどうしてもやりたくなかった。自分に嘘をつかなきゃいけない部分が多すぎるんだ」と家族に漏らし自殺した厚生省の官僚の言動(9)からもうかがうことができる。しかし有機水銀が猫に水俣病と同様の症状をおこすことを発見した(猫400号)実験を行った工場附属病院の細川医師が技術部と話し合って、「一例だから」ということで、会社の立場への配慮からそれを伏せてしまった事、アルデヒド製造実験を担当した職員が有機水銀説が正しいと考え、職場でも話していたにもかかわらず、結局自分の立場が悪くなることを恐れ、幹部に伝えることはなかった事、熊本大学の研究を受けて、取締役の一部も、このまま垂れ流しにするのはまずいと認識していた事、通産省から出向していた上記の課長補佐も、人間の命は重いというのはわかるが ,自分の立場では排水を止められなかったと述べている事など、重要な立場にあった多くの人々は、有機水銀水俣病を引き起こしていることにある程度の確信を持っていながら、結局それぞれの個人が行動を起こすことはなかった(7)。組織に縛られているこれらの人々を責めるのは酷かもしれない。しかし水俣病に苦しめられている患者の苦しみを考え、あえて言うならば、これらの人々は有機水銀排出が水俣病の原因であると公言するような行動が自分の立場に与える影響を想像することはできても、患者の恐るべき苦しみを自分に責任のあることとして受けとめ想像することはできなかったと言わざるを得ない。見たくないものを見ないですませようとしていたのである。会社や官庁という組織の中で責任が分散し、わがことととして水俣病を受け止めることができなかったのである。

(1)丸山真男(1949):「軍国支配者の精神形態」、杉田敦編「丸山真男セレクション」(平凡社)所収、131-184

(2)カルフ・ウォルフレン(1994):「日本 権力構造の謎」、篠原勝訳、早川書房

(3)滝順一(2011):「地震原発をめぐる問題点7-フクシマ後への教訓(今を読み解く) 2011年5月1日日本経済新聞朝刊

(4)近藤次郎(1988): 「市民のための科学教育」, 科学教育研究12(1), 1-6 

(5)大久保真紀(2012):「戦う地震学者、ものいう金属学者-3.11以前から原発推進という国策に挑んできた人たち」、論座https://webronza.asahi.com/national/articles/2012092000007.html

(6)井野博満(2013):「原発の経年劣化-中性子照射脆化を中心に(前編)」、金属83(2)、49-56

(7)平岡義和(2013):「組織的無責任 と して の 原発事故 一 水 俣病事件 と の 対比 を 通 じ て 一」、環境社会学研究19(0)、4-19

(8)栗原彬編(2000):「証言 水俣病」、岩波書店

(9)田村元彦(2014):「ある官僚の死」、西南学院史紀要9、21-32