リスク社会の科学教育―科学を統治する市民を育てるー

このブログは、大学で科学教育を担当している筆者(荻原彰)が、現代の巨大な科学技術を市民が適切に統治するため、科学教育はどうあるべきかを考えていくブログです

社会―科学システムの問題点―資本主義の古典的悪徳― 貧困と汚染どちらを取るんだ?

 

1960年代の日本は水俣有機水銀汚染、四日市の大気汚染など多数の死者がでる重大な公害が相次いで起こった。近代化に伴うあらゆる公害が見られる「公害先進国」だったのである。当時の日本企業は高度経済成長に伴い、設備投資は年率20%増以上と拡張に拡張を重ねたが、公害防止投資はほとんど行わず、設備規模の拡大はそのまま公害被害の急増へとつながっていった。政府も自治体も大気や水の汚染を経済が発展することに伴うやむを得ないコストとみなし、明らかな健康被害にすら、因果性がはっきりしないとしてその補償や汚染の規制に消極的な態度をとっていた。ようやく1967年に公害対策基本法が成立し、環境基準が設定されて対策に乗り出したが、経済界の圧力により、もっとも汚染がはげしい地区の現状に合わせた骨抜きの基準となり、公害を抑制することはできなかった(1)。その流れを転換させたのは公害被害者自身の運動であり、それに共感する市民の力である。

80年代以降、「日本は公害を克服した」、「日本は環境先進国」という言説が流通し、国際的にも発信された。これを、政府や産業界が公害被害の惨状に顧みて積極的に公害対策に乗り出し、公害を克服していった美しい物語として考えるのはおそらく当を得ていない。四大公害のいずれにおいても、企業は利潤極大化のため公害防止コストを最小にすることに執着し、政府や自治体も被害者ではなく企業の利害の代弁者としてふるまっていた。その態度を変えさせたのは、公害被害の実態を告発する過程で研究者や法曹関係者、メディアの関与を獲得し、法的にも学問的にも巨大企業と真っ向から対決する力量を身につけた被害者と市民運動者の連帯である。それは水俣四日市にとどまるものではない。 

静岡県三島では四日市の被害実態を知って市民運動が国、県、企業が一体となって推進していた石油化学コンビナート計画を白紙に戻させ、市民の理解を得ずに力づくで開発を行うことの不可能性を政府や企業に知らしめた。

四大公害裁判ですべて被害者が勝訴したことは、公害を放置することがむしろ企業利益を損ない、場合によっては企業の存亡にかかわるものであるという認識を企業側に与えた。

革新自治体が全国に広がったのも、革新自治体が政府の規制より高い環境基準を企業に要求し、公害に対して厳しい態度をとり、これが市民の支持を得たことが一因であり、自民党に深刻な危機感を与えた。政府や企業はこのような被害者・市民の運動、市民の意識との綱引きの中で公害防止投資や規制を行うことが長期的に自らの利益であると気付いたために態度を変えていったのである。

しかし綱引きは終わっているわけではない。原子力、産業廃棄物処理、石炭火力発電所などにおいて新しい形で企業と社会の間でのコスト負担の綱引きが起きている。企業は環境コストや周辺住民の健康への悪影響といったコストをできるだけ引き受けず、社会の側に転嫁することによって生産物(製品やサービス)の価格を安くし、利益を最大化しようとする。そのために政治的影響力を行使し、政府からの規制を回避しようとする。

この構造、資本主義の古典的悪徳ともいうべきものは高度成長時代、というよりも明治以来変わっていないのである。それどころかむしろ悪質化している面すらある。ベックは「産業社会は、産業社会によって解き放たれた危険を経済的に利用する。それによって産業社会がさらに危険社会の危険状況と政治の潜在的可能性をも作りだす」(2)と述べているが、日本においてこの構造が典型的に現れているのは、原子力発電所であろう。原発廃炉はビッグビジネスとして注目されている。どう廃炉すればいいのか見当もついていない福島第一原発はともかく、廃炉が決まっている、または近々に迫っている原子炉は多く、数兆円規模の市場が生まれると見込まれている。しかも廃炉は長期間にわたるので、一度受注してしまえば30年から40年は安定した収入が見込める。その市場を原子力メーカーやゼネコンが狙っているわけだが、このような巨大な市場が生まれるのは廃炉がきわめて危険で難しい作業であるからに他ならない。このような危険な代物を生み出したのはそもそも原子力メーカーであり、危険なものを生み出してもうけ、その処理でまたもうけているのである。廃炉そのものは社会にとってコスト以外の何物でもない。そのコストを利益の根源へと転化するのは、品のない言い方をすれば、火を放っておいて、消火に見返りを要求するといういわゆるマッチポンプの論理ではないのか。

国際的にみればこの論理が最も顕著なのは兵器産業である。ソビエト連邦アフガニスタン侵略(1979年)に対抗するためのアメリカの軍事援助(イスラム戦士の訓練や武器供与)、その中から生まれてきたテロ組織による9.11同時多発テロ後のアフガン戦争、イラク戦争はひとつながりの因果で結ばれたプロセスであり、その過程で膨大な利益がアメリカ政府から兵器産業に流れ込み、その一部は政治資金として政治家に還流されている。その意図があったかどうかは推測の域を出ないが、結果としてアメリカの兵器産業はアフガニスタンや中東の不安定化によって商機をつかみ、戦争が次の戦争を呼び込むことによって利益を手にしたのである。

話を公害に戻そう。連綿と続く資本主義のこの古典的悪徳に由来する健康・環境への危害を抑制することは社会にとって有益であり、長い目で見れば企業や産業にとっても利益であることは四大公害裁判の経緯に照らしても明らかであろう。そのためにはどのような論理が公害を合理化してきたのか、その論理について理解することが、それに対する対抗論理を構築するためにも必要である、そのことについて以下見ていこう。

(1)あれかこれか

 企業活動が引き起こす、または引き起こす可能性のある危害を政府の規制などにより抑制することは必要だが、それには費用がかかる。その費用と抑制により得られる便益を比較し、費用が便益を上回るようなら規制を緩める、あるいは遅らせることが必要であるという論理が主張されることがある。あれかこれかを迫るのである。

典型的な主張としては汚染物質等の規制が企業経営を厳しくし、それによって雇用が失われる、雇用を守るためには規制緩和が必要だという、雇用か汚染かの2者択一を迫る主張であろう。たとえばアメリカのレーガン政権下(1980年代)、自動車メーカーは排ガス規制により自動車価格が上昇し、車への需要が減退して工場を閉鎖せざるを得なくなると主張し、政権もそれに呼応して「大気汚染防止プログラムこそ,過剰規制が 経済の活力を奪っている代表的な分野」だとして規制基準を緩和していった(3)。日本でも、多くの公害問題(ほとんどといってよいかもしれない)で経済か公害防止かという論理は語られ、公害被害者を孤立させたり、公害問題の解決を遅らせてきたが、現在進行中の喫緊の問題でいえば。アスベストであろう。1972年には世界保健機関アスベストの発がん性を公式に認め、80年代からヨーロッパを中心に使用禁止の動きが広がったにもかかわらず、1992年に社会党が立案したアスベスト規制法案は、「日本石綿協会」の「今後は健康障害は起こり得ない」との主張に乗った自民党の反対のため廃案になった。その後も、社会党は法案の再提出を目指していたが、今度は労働者の健康を守るべき労働組合が、法制化に反対する「石綿業にたずさわる者の連絡協議会」を結成し、「石綿は管理して使用できる。規制法制定は、関連産業に働く者の生活基盤をも奪いかねない」などと主張して社会党は法案提出を見送った(4)。その後も規制は徐々に強められていったものの、アスベストそのものは使われ続けてきた。現在年間1500人程度がアスベスト被曝に由来する肺がんや中皮腫で死亡していると見られており、この数字はこれからさらに上昇するとされている。今後はアスベストを多量に使用した建物の解体が急増することから、それに伴う飛散による被害が懸念されるにもかかわらず、専門家が求める石綿の曝露・飛散防止対策の強化は、解体費用の高騰、解体の長期化を恐れる建設業界の反対で見送られている。地域住民や消費者、労働者の健康や環境を出発点とせず、業界と担当官庁の間でコストとの見合いで「実現可能性」が見積もられ、それをもとに規制政策が立案されている。既視感があるほど繰り返されてきたことが今またアスベストで起きているのである。かつて四日市公害訴訟の際、津地裁四日市支部は「身体に危険のあることを知りうる汚染物質の排出については、企業は経済性を度外視して、世界最高の技術、知識を動員して防止措置を講ずべきであり、そのような措置を怠れば過失は免れないと解すべきである」(5)との判決を下した。1972年のことである。それから半世紀がたとうとしているが、採算性の枠内で「可能な措置」を講じていくという行政と産業の姿勢はほとんど変わっていないと言わざるを得ない。あれかこれかの論理での言い逃れを許すべきではない。少なくとも生命・健康にかかわる問題についてはコストを度外視して取り組む責任があるし、それが技術的に不可能だとするなら、そのような技術には退場してもらうほかない。

(2)科学的証拠はあるのか

  汚染物質放出などの企業の行為の法的責任を問うためには、企業の行為とそれによる損害の間に因果関係がなければならないし、行為が人的・物的被害をもたらすことの予見可能性も要求される。しかしこのわかりやすい理屈は、公害病に典型的に見られるように、汚染等の放置、ひいては環境や人々の健康・生命への危害をもたらす論理としても機能してきた。

排出された物質がどこに移動するのか、反応してどんな物質に変化するのかといった、物質の生態系の中での挙動を精度よく追跡することは非常に難しい。何か被害が出たとしても、たとえば四日市ぜんそくのように、他の原因で起こりうる被害については、汚染が原因なのか、別のもの(たとえばタバコ)が原因なのかを個々の被害者について立証するのは困難である。複数の原因企業がある場合は、どの患者がどの工場からの汚染で病気となったのかということを特定することはほぼ不可能であろう。要するに汚染物質と病気との因果関係を立証するのが難しいのである。

社会経済的な条件で言えば、企業の行為により被害を受けた個人が因果関係を突き止めるような専門的調査を行うことは知識の面から言っても費用の面から言ってもきわめて難しい。イタイイタイ病訴訟の際に、三井金属鉱業カドミウムが人間の骨中に蓄積するのか、カドミウムが人体にどのように作用するのかの定量的な解明を求めたが、疾患がおきるしくみの解明まで被害者側が行わなければならないとしたら、被害者の救済はほとんど不可能であろう。企業は資金の上でも専門的知見の上でも権力との関係の上でも被害者にたいして隔絶した優位に立っているのであり、力関係において明白な差が存在する。このような条件下で、厳密な因果関係が立証されるまで企業の責任を認めないこと(刑法になぞらえて言えば推定無罪)、また因果関係が判明したとしても予見可能性の低さ故に責任の一部またはすべてを免罪するようなことは事実上、被害を放置し、救済を拒否することに他ならない。実際、多くの公害病ではこのことが起こり、甚大な被害が起きている。

このことに日本の国家機構は全く無策であったわけではない。特に司法は、上記のような明白な不正義に直面し、それまで支配的であった法理である相隣関係法理(隣接する土地所有者同士の相互的な権利行使の調整原理)では被害―加害において因果関係の厳密な解明を求めたり、一定の予見可能性を求めるために公害に対して適切に対応できないことを認め、それを修正していった。たとえばイタイイタイ病公害訴訟や四日市公害訴訟では疫学に基づく因果関係の立証を立証手段として認めた。疫学は、集団を対象として疾病の原因を特定していく学問であり、個人の疾病の原因まで特定することは要求されない。また必ずしも疾病の起こるしくみが詳細に解明されない段階でも、原因の特定が可能である。従って、立証手段として疫学を認めることは、企業の排出する汚染物質による加害が統計的に明らかになればそれで十分であり、各個人の汚染物質への曝露の量や経路,種類といった因果の鎖を一つひとつたどらなくても、企業の責任を認定できることになる。汚染地域への一定年数の居住や汚染に関係すると考えられる疾患の罹患など一定の要件を満たせば被害者の救済が可能になるのである。

四日市公害の場合、大気汚染公害であるため、汚染物質の到達経路がつかみにくく、総体としての大気汚染は明らかであっても、個々の企業の汚染への寄与は明白ではない。実際、被告企業は理論計算などを提示して、自社の排煙がぜんそく等の大気汚染による疾患とは無関係であるあるいは関連性が薄いことを主張した。しかし、津地裁四日市支部判決(5)では企業の主張を退け、共同不法行為による損害賠償責任を認定した。つまり「工場に訴えに行ったら、『うちじゃない』また次の会社に行ったら 『うちじゃない』 次の会社に行っても『うちじゃない』そういったら、いったいどこやと、ねえ、私その ときに非常に残念に思ったことはねえ、『うちじゃない』ということはねえ 『俺じゃない、おまえだ』ということといっしょや。罪を人になすり合いするその根性にねえ、本 当に私は頭にかちんときた。『よしそうかおまえらそんな気持ちか』と。そいで、今度は、行政に行った。『こんな、俺しらん、工場のいうとることは俺はしらん。』 。『 国の規制をちゃんとまもっとる工場が操業しとんのやから 俺はしらん』と、 ほんとにいったいどこへ行ったらええのや。 (四日市公害被害者の談話)」(6)といったことは通用しなくなったのである。

予見可能性についても、たとえば水俣病訴訟熊本地裁判決(1973年)では「被告は、予見の対象を特定の原因物質の生成のみに限定し、その不可予見性の観点に立って被告には何ら注意義務がなかった、と主張するもののようであるが、このような考え方をおしすすめると、環境が汚染破壊され、住民の生命・健康に危害が及んだ段階で初めてその危険性が実証されるわけであり、それまでは危険性のある廃水の放流も許容されざるを得ず、その必然的結果として、住民の生命・健康を侵害することもやむを得ないこととされ、住民をいわば人体実験に供することにもなるから、明らかに不当といわなければならない」(7)として、特定の原因物質が一定のメカニズムによってある特定の病気を引き起こすということを予見できたかという意味での予見可能性を求めることは「住民をいわば人体実験に供することになる」とし、人体に対するなんらかの危険性が予見されることをもって予見可能性の要件を満たすとしている(7)。

このように激甚な公害とそれによる大きな被害の発生を受けて、それに対応する法理が創造され、それらの法理は西淀川公害訴訟などその後の裁判でもおおむね引き継がれ、確立していく。

しかし、公害訴訟を通して確立されてきたこれらの法理は被害を受けた、あるいは受ける可能性のある当事者が裁判に訴えてはじめて適用されるものである。民事裁判は個別の紛争を解決するためのものであり、判例としての影響力を持つとはいえ、効力そのものは各事案に限定される。また個別の事案ごとに当事者適格が吟味される。たとえば高速増殖炉もんじゅの原子炉設置許可の無効確認訴訟判決で最高裁もんじゅから59km圏内の住民に対して当事者適格を認めたが、逆に言えば、その外に居住している住民が原発の危険性を訴えて運転差し止めを求めても、そもそも当事者ではないという理由で門前払いされる可能性がある。

裁判官は法律の専門家ではあっても環境や健康の専門家ではないため、判断に高度な専門性が要求される原発のような案件では、事故の起きる可能性や程度といったことについては、特に行政訴訟の場合、行政の専門的裁量の範囲内として判断を避け、各事案についての法的手続きに瑕疵があったのかなかったのかといった形式的要件のみで判断する傾向も見られる(8)。

しかしこれらをもって司法が責任を果たしていないと考えるのは誤りであろう。上にも述べたように、司法(民事)はそもそも普遍的正義の追求ではなく個別の紛争の解決を求めるものであり、そこでは裁判に訴えることができるのは紛争の当事者に限定されるという原則(当事者適格)がある。また司法の判断は法に基づいで行われるものであって、解釈できる範囲には限界がある。そして何よりも行政庁が関与する場合、行政庁が下した専門的判断の妥当性を科学技術の素人である裁判官が二次的に判断を加えることについては議論があり、多くの行政法学者はこのような方式(実体的判断代置方式)は妥当でないとしていることがある(8)。司法には多数の制約があるのだ。

むろん上記の公害訴訟にあるように司法が新たな法理を創造して問題に対処する場合もある。しかし公害病の場合は、公害が住民の健康・生命にとうてい看過できない侵害を直接的に与え、直ちに被害者の救済が必要であることが誰の目にもあきらかであったという時代的背景があったことも忘れるべきではない。現代では、放射能ダイオキシンアスベストといった直ちに被害が見えにくい汚染や温暖化による自然災害の激化といったあまりにも因果関係が錯綜しているようなものが問題となっている。この場合、ボールは個別の事案に向き合う司法よりもより普遍的な対応が可能な立法や行政、広く言えば社会の側にあると考えるべきだろう。つまり科学と社会の関係を現代に見合った形で整理する法(行政規則も含む)の創出やそれを支える世論や人々の意識の変化が求められていると考えるのが妥当であろう。たとえば企業等の行為や製品が地域住民、消費者、労働者の利益への脅威をもたらす、とりわけ生命健康を脅かしている可能性がある場合は、厳密な因果関係の検証や被害の起こるしくみの解明がなされる前でもそれを公表し、操業や製造の差し止めを行う責任と権限を行政が持つべきであろう。そのことによって、仮に行政が何も手を打たない場合、不作為の責任を追及することができるようにもなる。一見中立的に見える「待って様子を見よう」という行政の姿勢が大きな悲劇をもたらしてきた歴史的教訓を忘れるべきではない。何もしないことは中立的行動ではない。何もしないということを決定したということなのだ。確実に決定できないことを長く論争し、その間、有効な措置がとられないまま。被害を拡大してきた「分析による麻痺」という轍を踏まないことである。それには、行政が行った規制措置が間違っていた場合でも関係者の責任を問わず、間違っていた場合の補償を支援する仕組みを整える必要がある。

ここまで原子力産業、化学産業、商社といった様々な業界に触れてきたが、それぞれの業界は強力な利益集団であり、様々な経路を通じて政治を動かす力を持っている。官僚に対しても政治家や幹部官僚を通じた人事操作、再就職先の確保などを通じて陰に陽に影響力を及ぼしている。福島第一原発の事故後に指摘された「規制当局が電力業者の虜となっていた」ことはこのような事情が背景となっている。したがって業界に負担を強いるような政策は、たとえそれが長い目で見て社会の利益に結びつくものであっても、その実施には大きな困難が伴う。政治家にとっても行政官にとってもリスクを伴う行為であり、それを乗り越える決断が必要となるのである。リスクを乗り越えて動くためには、たとえば公正取引委員会食品安全委員会のように、

①法により与えられた明確な使命

②規制される側の情報に依存せず(規制される側は水俣病におけるチッソ、PCB汚染におけるモンサントのようにしばしばデータの隠蔽を行う)、調査を自ら行い、自律的判断をすることができる専門性

③判断過程における政治の影響からの独立

といった特性を持つ環境政策組織が、国レベルでも自治体レベルでも必要となると考える。

社会の側、消費者の側も単純な市場原理で動くのではなく、環境や生命・健康、労働者の生活を守るの必要な費用を価格に上乗せすることを当然だと考え、それらの費用による価格の上昇について寛容であるべきだろう。そのことによって市場原理を適正に働かせ、環境ダンピングや労働ダンピングを市場の力によって抑制することができるのである。

 

(1)宮本憲一(2017):日本の公害問題の歴史的教訓、滋賀大学環境総合研究センター研究年報14(1)、3-19

(2)ウルリッヒ・ベック(1986):危険社会―新しい近代への道、東廉・伊藤美登里訳、法政大学出版局

(3)小林健一(2009):アメリカの環境・燃費規制と自動車工業(2)――レーガン政策とビッグスリーの車種戦略――、東京経大学会誌(経済学)262号、229-246

(4)朝日新聞Digital:連合、石綿規制法案に反対「雇用不安」理由に94年、http://www.asahi.com/special/asbestos/TKY200508040494.html

(5)環境庁(1973):公害白書から津地裁四日市支部判決を引用した

(6)四日市公害再生市民塾:四日市公害と人権、、http://yokkaichi-kougai.exp.jp/contents1/guide/4_5nen/contents/hobo_guidebook.pdf

(7)吉村良一(2000):公害における過失責任・無過失責任、立命館法学2000年3・4号下巻(271・272号)、1703-1734から水俣病訴訟判決を引用

(8)小林傳司(2007):「トランス・サイエンスの時代―科学技術と社会をつなぐ」、NTT出版ライブラリーレゾナント